「似合わないものを着ない人が、おしゃれ」
母が教えてくれたこと
父も母も今は天国。お仏壇は、一般的なものは大きすぎるので私流で、お気に入りのフォトフレームに二人の写真を入れ、旬のお花とお香は欠かさず。毎朝のお水はお気に入りの器。
幼い私に対しても容赦なく、洋服は紺か白。無地が基本で、柄といえばストライプかチェックのみ。子どもだからといって可愛い花柄なんてほとんど着させてもらえませんでしたし、当時みんながはいていたフリルのついた靴下も買ってくれず、靴下といえば白か黒か紺できっちり三つ折り。当時は「なんで?」と思ったりもしましたが、今思うと、私はそういう可愛いものが似合わなかったんだと思います。
母は、「この子は可愛いものが似合うタイプじゃない」と判断して、それを私に教えてくれていたんですね。
毅然とした美意識を持ち、実践していた母。
そうなったのは、母の父が早くに亡くなり決して裕福ではなかったことや、また女学校時代に戦争も経験、幼少期から青春時代にかけておそらく大変な苦労を体験したからではないかと思います。戦後、職業婦人となり、「自分で稼いだお金で自分の好きな服を着る」ことに大変な喜びを感じたと聞いたことがあります。だからこそ、ファッションに対する審美眼が、平和な時代の人とは比べものにならないくらい鋭かったんだと思います。
自分が苦労した分、私に対しては幼い頃から色々体験させてくれました。家業で多忙な日々の中、教育にはお金をかけてくれたし、旅行にも頻繁に連れて行ってくれ、いいもの、美しいもの、今見ておくべきものをたくさん見せ、さまざまな経験もさせてくれました。
厳しいところもありましたが、そのおかげで今の私がある。心から感謝しています。(後編へ続く)