“情弱ビジネス”が厄介なのは「反脆い」から

 3)に関しては、タレブはおそらく「エージェンシー問題」「レモン(不良中古車)の市場」にまつわるインセンティブを念頭に置いているが、経済学上の難解な概念でもある。より一般に理解しやすくするとすれば、ここではいわゆる“情弱ビジネス”を思い浮かべてみてほしい。

“情弱”、すなわち情報弱者は、商品は欲しいが判断が未熟だ。それにつけ込んで利益を出そうというのが“情弱ビジネス”だとすると、この種のビジネスは多くの局面でマージンを得やすく、また失敗した場合でも言い逃れしやすい。つまり、タレブがいうところの「反脆い」強さがある。

 では情弱でなければよいじゃないか、と思うかもしれないが、それに越したことはないとしても、たいていの場合、どんな人でもある局面では情報弱者であるだろう。たとえば、どんなに優秀な人であっても、転職時に候補の企業を吟味する際、欲しい情報がきちんと得られるとは限らない。

 また、タレブは、情弱ビジネスを行う人は、“身なりがきちんとしている”と警告している。偽物ほど本物に見せなければならず、本物であればそのような発想自体がないからだ(タレブいわく、“外科医は外科医っぽくないほうがいい”)。

 タレブは、この情弱ビジネスを行う者をリバタリアンの立場として許せないのだ。おそらく鉄槌を下したいと思っているのだろう、表現の強烈さにその思いが滲み出ている。

 そして面倒なことに、反脆い情弱ビジネスは生き残りやすい。そしてタレブには目についてしようがないとすれば、タレブの憤慨や著作を書きつづけるモチベーションも理解できるのではないだろうか。

一般的なモラルとタレブのモラル

 ブラック・スワンの到来で大儲けしたタレブに対して「大多数の他人の不幸で儲けるとは何事か」と思うモラリストもいるかもしれない。これは典型的なものだが、たまにそのような脅迫文めいたものが届いたとしても、タレブはまったく意に介さない。

「破滅(ブラック・スワン)の可能性に気づけず対処できなかった(しかも専門家の)お前が間抜けなだけだ」「私はブラック・スワンが来たら利益が出るオプションを“身銭を切って”買ったのだ」「お前が客に損させたのだとして、言いがかりを言われる筋合いはないし、そもそもお前自身は身銭を切ってないだろう」というわけだ。

「身銭を切る」ことの効用

 また、タレブは「身銭を切る」ことの効用を熱く語っている。自身の話として、身銭を切っていないと私は愚鈍になる、と言う。失敗から学ぶ、という時に身銭を切っていなければ本当には学べない、ということだ。逆に、身銭を切らず成功した者は「ペテン師」として生きていかなければならないとし、それにはタレブは耐えられないようだ。

 まずは、自身で身銭を切り、本当の意味で学んでいけば、結果的に生き残りやすくなる。それこそがタレブが目指すべき「反脆さ」だということだろう。