追い込まれた試合中に「もう一人の自分」が現れる

 このように日常生活をモニターすることで練習の質は向上しましたが、さらに大会での試合においても大きな効果がありました。

 記録することは「アウトプット」する行為です。頭の中でモニターしているだけでは何となくフワフワしていることも、書き出してみることで客観的に見られるようになる。これは第三者の視点です。
そしてアウトプットする行為そのものが、自分に対する意志の表明にもなります。「俺はおまえをしっかり見ているぞ」との表明です。日常を記録することで、もう一人の自分=コーチが常に見ていてくれる感覚が生まれてきたのです。

 このコーチは、試合のときにも僕の中にいます。主観では怖気づいてしまう状況でも、第三者の客観的な目線で見てみると、冷静になれる。渦中に飲み込まれていると絶体絶命にしか思えなくても、外から見ればチャンスでもある状況─これはよくあることです。それを「もう一人の自分」が教えてくれる。後押ししてくれるのです。

 ピンチのときには怖気づきそうな自分ではなく、もう一人の自分の声を信じる。どんな苦境に立ってもパニックにならず、最後までベストを尽くす。

 追い込まれた展開で、僕がそのように戦ったように見えるとしたら。大事な試合で負けたとしても、悔いなく試合場から下りているように見えるとしたら。それは僕が、もう一人の自分の声に耳を傾けることができているときなのかもしれません。「彼」は今の僕にとって欠かせない、心強い味方なのです。