人気ブロガー・ちきりんさんの今回の対談相手は、「地球の歩き方」の編集に長年たずさわってきたダイヤモンド・ビッグ社の取締役編集担当・石谷一成さん。1982年に入社し、94年から「地球の歩き方」を担当。『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!』(大和書房)を書かれたばかりのちきりんさんと、縦横無尽に「地球の歩き方」について語ってもらいました。
90年代は旅行ガイド本の戦国時代
ちきりん 前回は、「地球の歩き方」のスタート時期の話についてうかがいました。その後、「カラー化」や「読者層の拡大」を経て大きなブランドに成長してきたわけですが、こうした個人の自由旅行向けの本が「地球の歩き方」しか存在しなかった時代というのは、いつ頃までなんですか?
石谷 旅行ガイドとしては、最初はJTBさんや実業之日本社さんのガイドブックがありまして、ただ、それらはいわばパッケージ旅行用ですから、個人の自由旅行としては「地球の歩き方」が最初だったでしょうね。その後、「自由自在」も「ブルーガイド」も、個人旅行色を出してきてはいますが……。ですから、類書がないという意味で、出してしばらくは「地球の歩き方」の一人勝ちだったんですよ。そして、97年に昭文社さんの「個人旅行」が出て、98年に実業之日本社さんの「わがまま歩き」が出て、同じ98年にJTBさんの「ワールドガイド」が出て、それからはもう戦国時代ですね。
ちきりん 90年代後半まではライバル無しの一人勝ちだったんだ。他社が進出してくるのが、ずいぶん遅かったんですね。私が海外旅行によく行き始めた80年代の後半くらいから、個人旅行マーケットの可能性の大きさは素人目にも感じられるほどでした。他社ももっと早くマネしてつくればよかったのに……というか、普通はつくるもんだろ?と思うんですけど(笑)。
石谷 ハハハ。
ちきりん いまだったら1冊スゴク売れる本が出ると、またたく間に他社からも同じような本がたくさん出るじゃないですか。なぜ、「地球の歩き方」に関してはそういうふうにならなかったのでしょう?、そこがちょっと不思議なんですけど。
石谷 調査がけっこうむずかしくて時間がかかるということはあったでしょうね。世界について本を出すからには、1~2タイトルってわけにもいかないじゃないですか。どの出版社もやるからには20タイトルくらいを想定しますので、その20ヵ国とか20地域をしっかりやるとなると、時間がかかるとは思います。
ちきりん でも、たとえば当時のJTBさんだったら、お金もあっただろうしノウハウもあったはずですよね。添乗員を海外にたくさん送っていらっしゃるわけですから。ひょっとすると、経営判断的に「自分たちがやるべき分野ではない」ということもあったんでしょうか?
石谷 どうでしょうか……。たぶん、たとえば、パッケージ旅行用だった「自由自在」を個人旅行用に変えるのにどうやればよいのか、ということで「地球の歩き方」を研究していらっしゃったでしょうけど、簡単にはできなかったということだと思います。海外へ行って取材するライターはいても、「辺鄙な場所の細かいバス時刻を調べてくれ」と伝えて、できるかどうかっていうこともありますしね。
ちきりん そうか、パッケージ旅行と個人旅行が、今よりももっと大きく違っていた時代だったんですね。だからパッケージ旅行用のノウハウやネットワークがあっても、そのままでは使えなかったのかも知れない。