今年3月、英医学雑誌「BMJ」に興味深い論文が載った。米フラミンガム・スタディからの報告。それによると、がん経験者は健康な人よりもアルツハイマー病を発症するリスクが33%減少し、しかも喫煙が関係する肺がんや頭頸部がん、食道がんの生還者では、74%も(!)リスクが減る、というのだ。
一方、追跡期間の22年間にアルツハイマー病と診断された人がその後にがんを発症するリスクは、61%低下した。つまり、がん患者はアルツハイマー病になりにくく、逆もまた真なり、というわけ。同じ傾向はアルツハイマー病の疑いを含むすべての認知症患者で認められた。ちなみに、前立腺がんなど非喫煙関連がんでのアルツハイマー病発症リスクは18%減に止まっている。
ここまで読んで「禁煙しないよい口実になるな」とほくそ笑んだ方、人生そう甘くはない。第一、喫煙関連がんには治療後の経過が厳しいがん種──膵臓がん、膀胱がん、肝がんもこれに入る──がめじろ押し。いきおい、濃厚な治療が必要で医療費もばかにならない。しかも、だ。運よく治癒しても、喫煙関連がんではアルツハイマー病のリスクが下がる代わりに、今度は脳卒中の発症リスクが2.18倍に跳ね上がるそうだ。
がん経験者のアルツハイマー病リスク低下や、逆の現象に関する報告は過去にもいくつかある。分子レベルでは、アルツハイマー病など脳の神経変性疾患とがんの発症とに、同じ遺伝子が関与していることが知られるようになった。
例えば、異常な細胞のアポトーシス(細胞死)を誘導するがん抑制遺伝子のp53は、その働きでがん化した細胞を排除するのだが、一方で加齢や酸化ストレスで変性した脳神経細胞の細胞死を引き起こす。どうやら喫煙を支点とした「p53」天秤の片方にはがんが、もう片方には認知症が乗っているらしい。
実際、神経変性疾患に対し、がんが「予防的効果」を持つという研究者もいる。とはいえ「ちょっとがんになって、ボケ予防するか」というのは無理な話。できるなら両方とも拒否したいのだが…。
(取材・構成/医学ライター・井手ゆきえ)