さて、「ID野球」という言葉が誕生したのは野村さんが選手の時代ではなく、1990年にヤクルトの監督に就任してからです。野村監督は長年Bクラスだったヤクルトに、情報を基にして考える野球を根付かせることに成功し、1992年以降、リーグ優勝4回、うち日本一3回という偉業を達成し、監督としてヤクルトの黄金時代を築き上げます。

 その後、阪神の監督を3年間、楽天の監督を4年間務めて、野村監督は球界を引退します。阪神、楽天では監督としての優勝経験はありませんでしたが、選手を育てることで評価されました。そしてどちらのチームも、その後のバトンを引き継いだ星野監督時代に優勝しています。「野村監督のチームづくりがあったから」と星野監督から言われるほど、ID野球の考え方は選手の間に深く浸透したのです。

監督としてなぜ大成功できたか
経営コンサルだからわかる「必然」

 最後に、経営コンサルタントの視点からID野球を考えると、野村克也さんがなぜ監督としてこれだけ成功したのかが理解できます。

 ID、つまりナレッジを競争優位に役立てることを野村さんが発見したのは、現役選手の時代でした。そのナレッジは、当時はあくまで選手1人の財産として活用されていました。だから1960年代に日本一のバッターは誕生したけれども、チームを強くするまでには至っていなかったのです。

 一方、指導者専任になった野球人生の後半戦では、野村さんのナレッジは多数の部下に浸透することになります。経営論の法則そのままで、ナレッジは大人数で共有したほうが組織は強くなるのです。情報を調べて考え、それで有利な戦いを展開できる兵力が野村さん1人ではなく、チーム内にたくさん増えました。だからチームとして強くなり、監督として業績を上げられた。これが、野村克也さんが1990年代のプロ野球界に引き起こした、大変化の本質です。

 今やID野球は「プロの常識」といわれるまでに広まっており、それだけでは差がつかないほど進化しています。そうした状況の中、プロ野球はますます奥が深くなり、面白くなっている。野球を体を使う競技から頭を使う競技へと進化させたことこそが、野村克也さんの野球界への素晴らしい贈り物だったのです。

 そう思うと、かつて野球少年だった私は、感謝の気持ちでいっぱいになります。

(百年コンサルティング代表 鈴木貴博)