東京オリンピック・パラリンピック東京2020組織委員会の森喜朗会長は、新型肺炎による「中止はない」と明言している Photo:JIJI

「中止はない」と強調する組織委
スポーツが“他の目的”に利用されている

 新型コロナウイルスが大きな社会不安となり、連日の報道を頼りに国民それぞれが懸命に対策を講じている。しかし、こうした緊急的な事態の中にもかかわらず、東京オリンピック組織委員会は「静観」の構えを取り続けている。政府も東京オリンピックについては「開催」を前提に、踏み込んだ対策や姿勢を示していない。

 2月14日にも組織委の森喜朗会長は「中止や延期はない」との方針を強調した。IOC(国際オリンピック委員会)のジョン・コーツ調整委員長も「日本の衛生当局を信頼している」と開催の構えを崩していない。

 私はこうした対応からも、東京オリンピックがスポーツ哲学に基づくイベントでないこと、スポーツ本来の意義を醸成するための事業でなく、“他の目的”のためにスポーツが利用されているにすぎないという印象を残念ながら深めている。

 オリンピックは、平和の祭典だ。世界の平和と人々の心身の健全育成を目的としている。つまり、世界の平和と健康を前提にしてこそ成り立つ祭典だ。

 世界的に戦争状態であれば中止せざるをえない。過去にも中止されている。今回は新しいウイルスが深刻な障害だ。人々の健康が危険にさらされている中で、スポーツの祭典が強行される理由は認めにくい。

 IOCも組織委も日本政府も、「世界中が病気だってやるんだ」と言っているようなもの。これがどれだけ本末転倒で傲慢か、自覚はないのだろう。

「オリンピックを開催すれば、コロナウイルスを撲滅できる」ならば、強行も歓迎されるだろう。だが、ウイルスに対してオリンピックは無力だ。むしろ、多くの人の移動や交流が蔓延を引き起こす可能性が真剣に案じられている。

 IOCも組織委も「中止」の文字を発信する悪影響ばかりに配慮し、「中止の可能性を発信しないこと」によって自分たちを守ろうとしている。だがその姿勢によってむしろ彼らの魂胆が露呈し、「経済優先のオリンピック」への不信が募る現象を引き起こしてはいないか。