「おもてなし」とキャッチフレーズをつけているが、東京オリンピックのため海外から来る来訪者たちの医療体制も確保できない。それでも強行する姿勢に国内外から疑問の声も高まるだろう。

 スポーツへの影響も、具体的に起こっている。

 まさに武漢で2月に開催予定だったボクシングの東京オリンピックアジア・オセアニア最終予選は3月に延期され、会場をアンマンに移した。3月に中国・南京で開催予定だった陸上の世界室内選手権は1年延期された。

 国内でも、2月21日から千葉で開催予定だったバスケットボールの男子アジアカップ予選が延期、3月1日の東京マラソン「一般の部」は中止と決まった。東京オリンピックマラソンの最終選考会も兼ねるエリート部門だけで開催される。この決定に対して、「参加費の返還はしない」という発表に不満をもらす声はあるものの、中止に真っ向から異議を唱える人はほとんど見受けられない。コロナウイルスに対する深刻な認識が国民的に浸透している証しだろう。

 こうしたスポーツイベント中止や自粛の動きは、コロナウイルスの感染が広がる限り続くと予想される。現実に、東京オリンピックの足元が揺らいでいる。それなのに、IOCや組織委ばかりが「実施」を強く主張し続ける。東京オリンピックがまるで「砂上の楼閣」のように見えてくる。

 一体、誰のための、何のためのオリンピックなのか。

 私は、オリンピックの意義、スポーツの目的を社会全体で共有すべきだとずっと願ってきた。いまは、皮肉にもウイルスによってだけれど、スポーツの社会的目的や位置づけを共有する好機と捉えてもいいのではないかと思う。しかし、日本政府にも、スポーツ庁にも、そのような意識も、改革の使命感も感じられない。

(作家・スポーツライター 小林信也)