クジラの前ヒレが、体の大きさに対してあまりにも小さく、目のすぐ横に描かれているのです。

この絵を描いた画家は、クジラに前ヒレがあることを知らなかったのかもしれません。そこで自分の知識や経験に当てはめて、「たぶんあれは耳だろうな」と判断したのでしょう。耳であるという先入観を持ってヒレを見たことによって、「現実」の形までもが歪められてしまったようです。

すぐれた写実絵画の技術で知られるオランダ人の画家でさえ、初めて目にするものを客観的に写し取ることはできなかったということです。

どうやら私たちの「視覚」は、機械のように正確ではないようです。どんなに目を凝らして見ているつもりでも、目に映る世界は、見る人の知識や経験によって大きく歪められます。

正確に世界を写し取ることができるはずの遠近法は、そもそもかなり頼りない「人間の視覚」に依存しているのです。

■執筆者紹介
末永幸歩(すえなが・ゆきほ)

美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。
東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立つ。「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を、都内公立中学校および東京学芸大学附属国際中等教育学校で展開してきた。生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」「物事を考えるための基本がわかる授業」と大きな反響を得ている。
彫金家の曾祖父、七宝焼・彫金家の祖母、イラストレーターの父というアーティスト家系に育ち、幼少期からアートに親しむ。自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップ「ひろば100」も企画・開催している。著書に『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』がある。