外部の知見ばかりを蒐集するのではなく、内部の良いものを重視すべきだという反対派は容易に見つけることができる。(1)~(3)のような意見を述べた先ほどの企業の研究者たちなどもそうだった。企業の人間は最新の理論とやらに付き合う暇があるのなら、現地、現物、現実を見たほうがよほど実になるという主張である。要は、他人の理論で頭でっかちになるより、足を使ったり自分の頭を使ったりせよということだ。理論を勉強するくらいだったら、○○工場の△△ラインの班長の能力を調べてこいというわけで、実際にこれにはそれなりの説得力がある。
今の60代より上の世代には「現場の鬼」みたいな人がどこの会社にもいて伝説的な存在であった。工場に足を踏み入れた瞬間に、その工場の問題点や改善点がわかる技術者。このプロジェクトならA事務所のBさんがいい、と即座にひらめく営業担当者。全ての社員の入社年次や主だった異動歴、賞罰の歴史などをスラスラと言える人事部長。経験値が全部頭の中にデータベース化されているような人が本当に存在したのである。
ビジネスパーソンとして目指すロールモデルは学問的知識のある人ではなく、実践的知識のある人。現在の日本企業の弱さはこの現場力の低下によるというわけで、むしろ大きなチャンスは外でなく内にある。すでにあるものを上手に活用できるのに、できていないというのである。
研究オタクも現場の鬼も
活躍できない企業の現状
さて、外部の新しい知識の欠如が日本企業の弱さを招いているのか、実践的知識の低さや内部の不活性が日本企業の良さを招いているのか――もちろんほかにも理由の候補はいろいろあるが、実際のところおそらく「両方とも」が弱さの理由になっているのだろう。
技術面だけにとどまらず、世界的に見ても最新で、誰もやったことのないような研究内容を理論化し、論文にするといった野心的な試みをする者も企業の中になくてはならない。一方で、現場のことを誰よりも深く知り、異変を感知し対処するとともに、そこに新しい挑戦の芽を見ているような現場力の強さを持つ者も必要だ。
冒頭の話だけでいえば、「研究オタク」を「現場の鬼」に近いタイプの人が批判しているようにみえるかもしれないが、実は「研究オタク」も「現場の鬼」も、職場に欠くべからざる多様性の極という意味では、実は同じなのである。
今の企業は、その両方ともを欠いている。その理由はいろいろ考えられる。一つはハイパフォーマー分析や360度評価を本来の用途に沿って適切に実行できなかったことである。下手くそなハイパフォーマー分析で、人事考課が良い人のプロフィールを統計的に処理すれば、金太郎あめで切ったようなそこそこの優等生に収れんしていく。360度評価も、誰が見ても評価できるような平均的な枠に収まっている中での「素晴らしい人」が評価されやすい。アイドルの人気投票では、個性的な美男美女、突き抜けた美男美女よりも、「同じクラスにいるような平均顔」が好まれる傾向にあるという人もいるが、そのようなものである。