今回でこの連載は最終回となる。過去の常識的な「学歴」観が確実に揺らいだ時期に、こうした原稿を書けたことは幸運だったと思える。事実、大学院そのものがチェンジする時代であり、そこで学ぼうとする、あるいは学び始めた人間の意識も変化を余儀なくされた。
ただ、現象から現実を演繹できる人間は少数なのだ。たとえばリーマン・ショック以降、いわゆる社会人入試のエリート層である「ハイスペック受験生」は、MBA志望にシフトすることが顕著になった。不況下で仕事が減り、勉強の時間が取れるようになったという形而下の事情ももちろん、ある。しかし「繁栄システムの崩壊」とも言えるカタストロフを目の前にした志ある人間が、新たな経営システム、企業と経済社会の関係を立て直すために学びを始めたという解釈も成り立たないだろうか。おそらく、数年後には答えが出始めるだろう。
振り返ってみれば、「学歴社会」と言われてきたものは、日本においては完全に「学校名重視」の問題でしかなかった。それはそうだろう。「学士様」というのは、大学の数が極端に少ない時代の遺物である。東京大学が、東京帝国大学より以前、ただの「帝国大学」という名前の話である。日本に大学はそもそもひとつしかなく、それからさほどの時も流れてはいない。そんな短いタームの中で、学校の序列づけが行なわれたのである。
「大卒」=「十分の学歴」ではない
その秩序を、根底から覆したのが「大学院」にまつわる様々な出来事である。社会人入試がブームとなり、アカデミックな研究者の純粋培養機関であった大学院の性格を変えた。法科大学院、会計大学院、教職大学院など、アメリカ型プロフェッショナルスクールをひながたにしたような専門職大学院が市民権を得た。MBAを輩出するビジネススクールは、おおかた「経営学」の学部を基礎とした大学院として定着した。通信制の大学院は、受講生の地理的ハンディキャップを解消した。
そしてこれらの動きは、総合してひとつの新しい常識を作ろうとしている。すなわち「いかなる大学院も、全ての大学の上位にあること」、いいかえれば最終学歴として書かれるべき学校は大学院、という時代が来はじめている、ということだ。更に言えば、大学院に進むことは全ての大学を相対化し、「単なる東大卒」の学歴を凌駕するという当然の事実が認識され始めた、ということである。