しかし、社会全体でこうした流れに乗り、多様性を狭めてしまうことは、非常に危険である。多様性を狭めることで、短期的には生産性や出生率が上がる。しかし、進化の歴史で見ると滅亡に向かってしまう。たとえば、ある企業では、強引かつ話術の巧みな営業担当者が好成績をあげているため、そうした人材ばかりを集めているとする。だが、ある日規制が強化され、そのような営業ができなくなったとしよう。その企業に、一人でも温厚でロジカルな営業担当者がいれば、営業活動を続けられる。だが、そうした人材の多様性がない場合、その企業は厳しい局面を迎えることになるだろう。

◆日本社会の特殊性と「正義」の関係
◇愚かさの基準は国によって異なる

 正義中毒は、どこの国のどんな人でもなり得るものだ。しかし、どんな人を逸脱者(愚か)とするかという基準は、国や地域によって大きく異なる。

 たとえば日本では、「みんなに合わせられないこと」「みんなと違う行動をすること」が愚かだと考えられる傾向にある。これに対して、著者が滞在していたフランスでは、「みんなと同じこと」や「自分の意見をいわないこと」が愚かだと捉えられがちであったという。

◇自然災害と閉鎖的環境による影響

 では、なぜ日本人は、自分の意見を飲み込むことが好ましいと考えるようになったのか。それは、日本が島国であることや、日本の独特な環境が関係している。まず、降雨量が多く、台風などの風水害のリスクが高いという気候面の特徴があげられる。そしてもう1つの特徴は、日本がプレートの境界にあるため、火山が多く、地震が多発する地域であるということだ。同じ島国としてイギリスがあるが、イギリスでは自分の意見を飲み込む傾向がない理由は、ここにあるようだ。

 日本は長い間自然災害に悩まされてきた。そのため、そうした環境に適応できるよう、長期的な予測をして準備を怠らない人たちが生き残ったと考えるのが自然である。

 また災害時には、みんなで助け合って復興をめざす以外の方法はない。集団への協力を拒んだり了解事項を裏切ったりすれば、その人物は非難と攻撃の対象となってしまう。このような背景から、日本では、個人の意思よりも集団の目的を最優先するようになっていった。集団の考え方に背くことは社会全体に危機をもたらす恐れがあるとして、無意識に集団主義的思考を採用していたのだろう。