社長が重要案件について、
「深い思考」を続ける環境をつくる
さらに、当時は、日本を不公正貿易国とする「スーパー301条」適用国にするなど、日米貿易摩擦の真っ只中。タイヤ業界は摩擦対象分野ではありませんでしたが、それでも、日本企業が、GEやフォードと並ぶアメリカの超名門企業だったファイアストンを買収することに、アメリカ国内では強い感情的な反発がありました。
実際、あるアメリカ企業のCEOから、「日本企業がアメリカの名門企業を買収したからといって、すぐに俺の会社と取引できると思うな」と暴言を吐かれたこともあります。それほど、社長の一挙手一投足に、細心の注意が求められる状況に置かれていたのです。
そのような状況のなか、万一、社長の意思決定にわずかでも誤りが生じれば影響は甚大。だから、社長には、日常のオフィスでも出張中でも、それこそ24時間365日、常時、些事に惑わされることなく、正しい意思決定に向けて深い思考を続けていただく必要があると、私は考えました。だからこそ、「カバン持ち」を買って出たのです。
出張の移動中も、社長には思考に全勢力を投入してほしい。しかし、大きな荷物を抱えていれば、それがストレスになって思考力は鈍ります。しかも、もしも出張先で、社長自ら重いカバンを持ったばかりに転んでケガをして、現地で2~3日入院……などということになったら一大事です。
また、飛行機の貨物室に預けると、荷物の待ち時間という「無駄」が生じます。そこで、当時は、まだ機内への荷物持ち込みの規制が緩かったこともあり、私が、社長の荷物と自分の荷物を機内に持ち込んでいました。二人分の荷物ですから、「カバン持ち」というよりも、「カバン背負い」のような格好だったと思います。
秀吉はなぜ、
信長の「草履」を温めたのか?
「カバン持ち」とは、蔑視を含んだ表現です。
実用日本語表現辞典にも、「上司の鞄を持って随伴する人、転じて上役にいつも付き従っている人を指す蔑視を含んだ表現」と書かれています。しかし、単に「上役に付き従っている」だけの人であるかどうかは、その人の内面にあるモチベーションによって判断すべきことであり、私は、上役を「機能」させるためには、「カバン持ち」も厭わない人でなければ、参謀にはなれないと考えています。
あの豊臣秀吉もそうです。
豊臣秀吉の出世にまつわるエピソードに、「織田信長の草履を懐で温めていた」という話があります。
秀吉は十代の頃、雑用係として信長に仕えていましたが、その主な仕事は草履取り(主人の草履を常に持ち歩き、外出の際、主人の足元にさっと出す役割)だったそうです。ある寒い日のこと、外出しようとする信長の足元にさっと出てきた草履が生温かい。怪訝に思った信長が「さては草履を尻に敷いておったな」と秀吉を問い詰めると、秀吉は答えます。「殿のお足が冷えぬようにと、懐で温めておりました」。
この秀吉の行動に信長は感激し、以後、秀吉は信長の信頼を得るようになったという話です。
真偽はさておき、この話は、「人たらしの秀吉」が、「信長のご機嫌を取り、出世への足がかりをつかんだエピソード」として語られますが、私の見方は少し違います。
数々の歴史書を私なりに読み解けば、信長はかなり合理的な人物。そんな信長が、単なる「ご機嫌取り」にほだされたとは考えにくい。また、のちに天下人となる秀吉も、単なる「ご機嫌取り」に終始するような人物であろうはずもなく、外の寒さによって信長の思考が鈍ったり、行動のスピードが落ちるリスクを回避するために、草履を温めていたと考えるほうが自然ではないかと思うのです。
つまり、秀吉は、信長を「殿」として最大限に機能させようとしていた。周囲の人間は、秀吉の行動を「ご機嫌取り」として見たかもしれませんが、合理的な信長は、彼らとは違って、秀吉の「知性」を見抜き、参謀として重用するようになっていったのではないでしょうか?