社長に「無駄なエネルギー」を使わせない

 私は、そういう考えでいましたから、物理的にもかなり重い「カバン持ち」は、肉体的には少々つらかったですが、精神的にはまったく苦ではありませんでした。

 上司という「機関」を最大限に機能させることが、自分の任務だと考えていたからです。むしろ、秘書課長としてのあらゆる仕事は、一貫して「カバン持ち」と同じモチベーションに基づいて行ったと自負しています。

 当時、会社の命運を分ける一大プロジェクトの渦中にありましたから、社長の意思決定のスピードと精度を最大限に高める必要がありました。そのためには、社長が些事に頭を使うことを最小限にとどめ、重大事項にのみ集中してもらわなければなりません。

 だからこそ、私は、日々、社内から上がってくる起案書のすべてに目を通し、通常の案件については、社長が即座に意思決定できるように、情報の不備を補うほか、私なりに対応策とその根拠を伝えるように徹底しました。その提案に説得力があれば、社長は「それでいい」と即座に意思決定ができます。できるだけ、通常の案件で、社長のエネルギーを使わせないようにしたわけです。

 あるいは、重要な案件について、社長がなんらかの意思決定をしたときには、その先に起こることを「先読み」して、取締役会の開催、関係役員とのミーティング、社内への告知文の作成などを社長に提案。こうした環境整備を私が率先して提案することで、社長には、その意思決定の、さらに「その先」の意思決定に向けて思考を集中してもらうことができます。

格好いい仕事をする前に、
一流の「カバン持ち」になれ

 さらに、重要な意思決定は、ときに社内に軋轢をもたらすことがありますが、その軋轢を最小化できるように、私が、関係各所を駆け回って、丁寧にコミュニケーションをとることで理解をとりつけていくことも重要です。

 もしも、反発が表面化すれば、社長自らが多大なエネルギーを使って対処する必要がありますが、それは、社長の対外的な意思決定に向ける思考力を大幅に削ぐ結果を招くからです。

 逆に、私に任せておけば、社内の反発を最小限に抑えることができると、社長に安心してもらうことが重要。その安心感があれば、社長はいったん下した意思決定について思い煩うことなく、次のテーマに集中しやすくなるからです。

 このように、秘書課長だった私は、社長が重要な意思決定に全精力を投入できるようにすることで、社長という「機関」が最大限に機能することをめざしました。そのためにやったことはさまざまですが、どれも、根本にあるのは、出張時に社長の「カバン持ち」をしたのと同じモチベーションなのです。

 参謀は、上司に対して戦略的なアドバイスをするようなイメージを持つ人が多いと思いますが、それは、参謀に求められる仕事の一部に過ぎないと言えます。それ以前に、上司を「機関」として機能させるために、「カバン持ち」の精神で仕事に向き合うスタンスを徹底しなければ、参謀としての信頼を得ることは難しいでしょう。格好いい仕事をしようとする前に、「カバン持ち」ができるようにならなければ、参謀として認めてはもらえないのです。

 ただ、私が、「カバン持ち」で思わぬ失敗をしたことも、正直に白状しておかなければなりません。
 あれは、社長に随伴したシカゴ出張でのことです。空港に到着すると、私は例によって、社長の荷物をすべて持ちました。ところが、社長が、税関で煩わしいチェックを受ける手間が省けるはずだったのですが、これが完全に裏目に出てしまいました。手ぶらで入国しようとする社長を「かえって怪しい」と睨んだ税関の職員は、社長を別室に連行して、執拗に尋問をしたのです。

 社長に無駄な時間を使わせたうえに、尋問というストレスまで与えてしまったわけで、参謀としては大失敗。別室から出てきた社長に、詫びを伝えようと近づくと、こう言われました。

「まいったよ。ビジネス・ミーティングでシカゴに来たと言ったんだけど、『なんでお前は着替えも持っていないんだ? おかしいだろう』とさんざん責められた。これからは手荷物のひとつくらいは持っていないとダメだな」

 そして、愉快そうにカラカラと笑いました。その社長の笑顔を、今もよく覚えています。実に懐かしい笑い話です。

【連載バックナンバー】
第1回 https://diamond.jp/articles/-/238450
第2回 https://diamond.jp/articles/-/238449
第3回 https://diamond.jp/articles/-/238448
第4回 https://diamond.jp/articles/-/238447
第5回 https://diamond.jp/articles/-/238446