さらに、プラットフォーマーが利益の源泉とするビッグデータは、利用者である我々一人一人がインプットした個人情報を基にしたものである。

 グーグルやフェイスブックが提供するサービスを世界中の何十億人の人々が無料で楽しんでいる。しかし、プラットフォーマーは、ユーザーが作り出したデータの対価を一切支払わず、データが生み出す利益を独り占めにしている。

 我々は娯楽のつもりだが、実はプラットフォーマーのために働いていたということだ。

 筆者は、2010年代初頭に今回のデジタル革命の再加速が始まったとき、利用者が同時に生産者となる“プロシューマー”の時代が訪れるのだと無邪気に考えていた。

 当時のテクノロジー文明論は理想的なデジタル民主主義社会の到来の可能性を強調し、その負の側面はほとんど語られていなかった。

「テクノロジー封建主義」を
超えられるか

 しかし現状は、デジタル民主主義には程遠いどころか、イェール大学のマイクロソフト首席研究員で経済学・法学の研究者であるE・グレン・ワイル氏らが「テクノロジー封建主義」と呼ぶ状況に陥っている。

 中世では、封建領主が農奴の安全を守る一方で、農奴は土地を耕す。封建領主は生きるために必要最低限の穀物を農奴に残す代わりに、保護の見返りとしてそれ以外の農産物を収奪する。

 それを「知識経済」の今に当てはめると、我々ユーザーがせっせとデータのインプットを行い、SNSで楽しむのを許される代わりに、利益の大半は現代の封建領主たるプラットフォーマーが全部持ち去るというイメージだろうか。

 グーグルのチーフエコノミストであるハル・ヴァリアン教授は、アダム・スミスが提起した「水とダイヤモンドの問題」のアナロジーを持ち出し、ビッグデータへの対価の支払いは不要だと論じていた。

 スミスは役に立たないダイヤモンドの方が役に立つ水より価値が高いことを疑問視したが、アダム・スミス後に経済学が明らかにしたのは、水は大いに役立つが、希少性に欠けるため限界的な効用はゼロに近い、ということである。

 ダイヤモンドは役には立たないが、希少性が大きいため限界的な効用は極めて高い。

 ビッグデータは前者に当てはまり、それ故、データの供給者である利用者に対価を支払わなくてもよい、というロジックである。