奴隷制存続を支持した
南軍指導者への溢れる憎悪

 リー将軍は、司令官として劣勢の南軍を率いて北軍に対抗した「英雄」とされる人物だが、一方で「奴隷制度と人種的抑圧の歴史の象徴」として見られている。そのため、バージニア州のラルフ・ノーサム知事は、最近「我々はもはや誤った歴史の内容を説いたりしない」と述べ、リー将軍の像を撤去することを決めた。

 他にも、バージニア州リッチモンドにある南軍のウイリアム・カーター・ウィッカム将軍やジェファソン・デービス陸軍長官の像が引き倒された。

 人種差別の撲滅を訴える抗議デモの参加者が、南軍指導者の像撤去を求めるのは、それが黒人が苦しめられた時代を象徴しており、多くの黒人がそれらの像を見るたびに苦しい思いをさせられるからである。

 歴史の専門家によれば、南軍関連の像や記念碑の多くは、南北戦争後の1880年代頃から1900年代半ばにかけて建てられたという。それは南部諸州で、黒人を差別し抑圧するための「人種分離政策」が進められた時期とちょうど一致する。

 南北戦争後に奴隷制が廃止されると、南部では白人優位の社会体制を維持するために、学校、病院、交通機関、公園などの公共施設の利用において、白人と黒人を分離する政策が進められた。1881年にテネシー州議会が鉄道車両で白人と黒人を分けることを認める法律を制定したのを皮切りに、南部諸州は次々に人種分離を法制化した。

 そして連邦最高裁も、1896年に「プレッシー対ファーガソン裁判」で、「分離すれども平等(separate but equal)」と述べ、人種分離政策を積極的に容認した。つまり、それが全国的な原則として認められたのだ。

 しかし、実際には分離は全く平等を意味せず、白人と黒人のためにつくられた諸施設の質には格段の差があり、人種差別そのものを意味していた。人種分離の原則は、1954年に連邦最高裁によって破棄されるまで維持された。