今回の裁判のポイントの一つは、国の指定除外の妥当性だった。

 ただこれについては、答えははっきりしている。最高裁や国地方紛争処理委員会が指摘するように、自治体が法律で許される範囲内で行った工夫を、「責任と良識」を欠くなどと非難し、法改正前の過去の姿勢を後出し条件のように後から法的“ペナルティー”を科すのは、不当だろう。

 中央省庁が、自治体や各種法人・団体に対して表面的にはフリーハンドを与えながら、行政指導の形で実質的に強い統制をかけるというのはよくあることだが、今回の場合、国は国民がそれぞれの「ふるさと」に対して持つべき姿勢のようなものを想定し、それに自治体を順応させようとしたようにみえる。

 だがもともと「ふるさと」という共同体主義的な価値観と、公平性と効率性を追求すべき税制を、制度の中で結び付けることに無理があった。

「ふるさと」を拡大解釈すれば、共同体主義的な理想とは無関係に、かつ、税制の原則に反する形で、一部の自治体だけが常識的に見て“不当”な利益を得ることが可能になる。「ふるさと納税」はそういう仕組みだった。

 国はある意味、そのことに気が付いて、法改正によって矛盾を解消しようとしたわけだ。

 だが自分で抜け穴を作っておきながら、それを利用した自治体を罰するのは、法治主義の原則に反する。国自身の制度設計の甘さ、理念が曖昧だったことを反省すべきであって、自治体に責任を負わせるのはおかしい。

 親が使い方を曖昧にしか指示しないで、子どもにお金を渡して、子どもがそのお金を変な用途に使ったというので叱るようなものだ。そんな場合には子どもはその親に対して不信感を持つだろう。

保守的価値観と経済的効率
同時に追求する矛盾

 理念の曖昧さや制度の矛盾はほかにもある。最高裁判決の補足意見で宮崎裁判長が述べているように、「税」を支払うことに対する「返礼」というのも、確かにおかしい。

 返礼割合を3割に限定すれば、多少は矛盾が緩和されるかもしれないが、制度的な矛盾が根本的に解消されるわけではない。

 また、何をもって地場産品というのかもそれほどクリアではない。

 小山町の場合、地元に工場があるリンガーハットグループの共通商品券を、地場産品とみなして返礼品に加えていたことが問題になったとされている。

 これが地場産品だと無理なく考えられる人は少ないだろうが、何をもって、その地域の特徴を表す商品といえるのか、感謝の気持ちを表すにふさわしいというのか、人によってかなり判断が異なるだろう。

 当初想定していたように、苦労している地元の人を支援したいという気持ちから寄付することを奨励するのなら、その土地だけでしか作られていない品物に限定しなくてもいいようにも思える。