結果として、彼は回転ずしにフラっと入り、ビールを飲んですしを食べたら勢いがついてしまってキャバクラに向かい、翌朝には生活を立て直すお金なんて1円も残っていないことになります。あまりに典型的な「クズ」の描写ですが、苦しい生活は、人間の意志力をどこまでも削ります。これは、むしろ「仕方ないこと」なのです。
この「金が入った」「金がない」の悪循環をくりかえす限り、永遠に「余剰」は生まれません。
生活投資はそれ自体が楽しい
「家での生活を楽しむ」ためにどの程度の利便性が必要かは人によって大きく違いますが、そこには、必ず「投資」が必要になります。
僕は発達障害(ADHD)を持っているため、普通の人よりできることが圧倒的に少ないです。だから生活の利便性は高ければ高い方がいい。そういうわけで、ひとつひとつ自分の周辺を便利にしていく投資を、長年続けてきました。炊飯器を買い、掃除機を買い、洗濯機を買い、食洗機を買い……いわば生活をより便利に「構築」し続けることが人生の習い性であり、同時に楽しみとなっています。
昔、乏しい懐からちょっとだけよい炊飯器を買ったときのことをいまだに鮮明に思い出せます。「マズイメシ」はこれほどストレスだったのかと、なぜ自分がお金もないのに外食をしてしまうのかに気づいたあの衝撃はとても大きかった。人生を変えたといっていいでしょう。
ひとつ、またひとつと生活を積み上げていく。一文無しから始めた人生が積み上がっていく喜び、部屋が少しずつ豊かになっていく楽しさ、それを味わっていたら、赤字だった僕の預金通帳には、2万、3万、10万……と、少しずつ余剰が積み上がっていきました。
生活が「積み上がっていく」。これは人類最古の喜びのひとつだったのではないでしょうか。食うや食わずで生き延びていた狩猟採集の民が、安らかな眠りや温かな住処、便利なカマドや井戸、森まで毎度拾いに行かなくてすむ薪小屋を手に入れ、そこから生まれる余暇が人間を幸せにしてきたのだと思います。あなたの人生にも、このとても旧くしかし永遠に色あせない幸福を、取り入れてみてください。