私の総統就任(1988年)と前後し、台湾の対中政策は開放的になった。それまでは内戦中という建前で、さまざまな交流は途絶えていた。しかし経済貿易の往来が頻繁になると、過度な中国依存のリスクが台湾に芽生えた。そこで私は96年に国家政策として、「戒急用忍(急がば回れ)」政策を進めた。両岸の不均衡な経済関係を目の当たりにして、このままでは台湾の重要な産業や資金が全部中国に吸い取られてしまうと、切迫した危機感を覚えたからだ。この政策では、高度な科学技術と5000万ドル以上の投資、インフラ建設については、政府の審査を経なくては実施できないと決めた。
経済界は目先の利益にとらわれて先走りしがちなものだ。それを野放図に黙認していたら、台湾の持つ産業や技術の優位性も、豊富な資金もあっという間に中国に流れていってしまう。そこで制限を設け、特に台湾が世界でもトップクラスだった電子産業については保護していた。
ところが2000年に民進党が政権を担うと、台湾の方針を「積極開放、有効管理」に大転換させてしまった。確かに当時は中国経済の見通しが明るかったから、誰もが中国への投資を希望していた。しかし民進党は中国への投資を開放する一方で、多くの産業が流出している状況については、何ら有効な方策を打ち出すことができなかった。本来であれば産業流出が続くなら、台湾は新しい産業をつくり出さなければならない。しかしそれができなかったがために、台湾の経済成長率は下降を続けた。それによって就業機会も減少し、失業率が増加する結果となってしまった。
台湾がすべきことは、今でも優位性を保っている分野をきちんと守ることだ。例えばTSMC(台湾積体電路製造)は、私が総統在任中、政府がバックアップをしてできた会社だ。現在では世界最大の半導体製造会社となっている。この会社に対して、中国が買収をもくろんでいるという情報が多方面から寄せられている。あの手この手で、TSMCの企業機密を得ようと画策しているとも聞く。こうした企業を保護し、優位性を守らなければ、台湾の産業は文字通り根こそぎ中国に取られてしまう。
資本主義、自由経済に任せるべきだ、という言い方は確かに聞こえがいい。だが資源のない台湾が、中国の経済的なブラックホールにのみ込まれないためには、民間任せにせず政府が、台湾独自の優位性をいかに保つかをきちんと考えていくべきだ。