私たちは、生きるために生きている

更科「何のために生きるのか」という問いについて、悩んだり考え込んだりしている人もいるかもしれません。

 でも、生物は「生きるために生きている」のです。生物にとって「生きるために大切なこと」はあっても「生きるよりも大切なこと」はありません。「目的のない人生なんて意味がない」という言葉を聞くことがありますが、私はそんなことはないと思います。

 もちろん、生きるための目的があるのは素晴らしいことです。私だって、目的があった方がいいと思います。でも、目的がなければ生きる意味がない、なんてことはない。たとえ何の役にも立たなくても、やはり生物は生きていたいのです。

 『若い読者に贈る美しい生物学講義』も、大雑把に言えば、そんな生物の生きるにまつわるあれこれを書いたつもりです。本書を読んで、少しでも視野が広がれば、のんびり生きていけるかなとも思いますし、直接的ではないにしろ、ビジネスとか、生きるとかいうことについて、いくらか楽天的になれるかもしれません。

──とてもいいメッセージですね。「学ぶこと」のなかでも、とりわけ「生物学を学ぶこと」の意味や価値はどのあたりにあると思っていますか?

更科 学ぶのは、別に生物学でなくてもいいんです(笑)。たまたま私は生物学の話をしていますけど、ラテン文学の話でもよかったわけです。いや、学ぶってほど構えなくてもよいのです。正面だけでなく、ちょっと横を見るぐらいの気持ちでいいんです。人生において、道草をくうことも楽しいかなと思うので。

 ただ、私にとっては、生物学が身近にあったので、そこから、とっかかりが生まれやすい。そこから興味を掘り下げていけるというところはあると思います。

 たとえば、「なぜ、がんになるのか?」というような病気の話は誰にでも関係することですし、「人類が直立二足歩行であることが今の社会や世の中のしくみにどう影響しているか」なんて話は、興味を持ちやすい。私は、人間以外の生物にかなりの興味があります。でも、やはり一般的には人間がずばぬけて人気があるのですね。

学びの意味、教養の価値はどこにあるのか?

──そもそも更科さんは生物学のどういうところに興味を惹かれているのでしょうか?

更科 私の専門は分子古生物学なので、化石のような古いものを扱うのが専門です。その根底にあるのは「過去のことを知りたい」という思いですね。

 私は相撲が大好きなんですけど、どんなに古い資料を調べても、やっぱり限界があります。本当は、江戸時代に行って、雷電のような当時活躍していた力士の相撲を実際に見たい。それが私の夢なんです。

 もちろん、それは叶わない夢ですが、分子古生物の世界では、化石からタンパク質、DNAを取り出すことを目指します。現在の生物のDNAから過去の生物を復元することもありますけれど、実際に過去の化石からDNAを取り出して、昔のものを直接見ている。感覚として、雷電の相撲を直接見るのと少しだけ近い。

 昔のものを直接見る快感っていうのは、やっぱりあるんですよね。たしか中国文学者の吉川幸次郎さんだったと思うんですが、「究極の歴史研究とは、実際に過去に行って、街並みや人間を見ることだ」みたいなことをおっしゃっていました。そういう意味では、中国文学者も生物学者も似たようなところがあるのかもしれません。

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