インドの宗教の特徴

 それに対してインドの宗教は、「瞑想(めいそう)」によって、真理に到達しようとする。瞑想は、実験も観察もしない。いきなり真理の全体を、把握しようとする。「このわたし」がいますぐ、真理をつかもうとする。

 もうひとつ、因果関係の範囲が、自然現象にとどまらない。善悪や道徳も因果の一部である。よい行ないをする→よい結果が起こる、のように、人間社会も貫いている。

 瞑想とはなにか。瞑想とは、精神を集中すること。英語では、meditationである。じっと座り、自分の精神に注意を集中する。自分の内面を見つめると、なぜ真理が認識できるのか。

 瞑想で真理に到達できるのは、インドの人びとが、「宇宙方程式」が成立すると考えているからだ。(宇宙方程式は、私が名づけた。)どんな方程式か。

 この世界(宇宙=マクロコスモス)と、「このわたし」(自分=ミクロコスモス)が、対応していること。数学に、同型写像(isomorphism)という考え方がある。集合から集合への一対一写像で、演算などの数学的構造が保存されるもののことだ。

 たとえば、ジャンケン(石/カミ/ハサミ)と、キツネケン(庄屋/キツネ/猟師)みたいに。平たく言うと、集合としては異なるが、なかみはそっくり、ということだ。

 世界と自分も、集合としては異なるが、なかみはそっくり、になっている。あそこに山があるが、自分の中にもある。目の前に友人がいるが、自分の中にもいる。だから、内省して自分をみつめると、世界のありさまがありありと映じてくるのである。

 自分(ミクロコスモス)のなかに、世界(マクロコスモス)が入り込むものだろうか。それなりに合理的な考え方ではある。

 たとえば、宇宙の数百万光年のかなたに、アンドロメダ銀河がある。それを、あなたは視ている。銀河は、はるかかなたに存在する。あなたの内部にはない。だが、銀河から出た光線は、はるばる宇宙のかなたからやって来て、あなたの眼に飛び込んだ。そして、網膜に像を結び、それが脳に伝わって、アンドロメダ銀河として認識された。この意味で、アンドロメダ銀河は確かに、あなたの内部にある。ならば、世界がそのまま、あなたの内部に縮小されて像になっている、と言えるではないか。

 もともと人間が外界を認識するとは、このようなことであるとすると、インドの人びとが、宇宙方程式が成り立つと考えるのは、理由のあることなのだ。

(本原稿は『死の講義』からの抜粋です)