帰化申請から許可が下りるまでの約半年間、李はあることがきっかけで精神的にナーバスになっていた。当時李はツイッターで政治や社会問題を取り上げて、独自の見解やアイデアをたびたび発信していたのだが、これが「ネット右翼」と思しき匿名の人間たちの標的となったのだ。李は振り返る。

「私の意見に対するちゃんとした批判なら大歓迎ですよ。私のアカウントに巣食っていた匿名の奴らが許せないのは、暴力団と親密な関係にあるなどと“架空の事実”を捏造して垂れ流すのがいつものパターンだった。これによって帰化も立候補の夢も絶たれてしまうかもしれないと不安で仕方なかった」

 今や暴力団の密接交際者と認定されたら、社会的な立場を失いかねない時代である。メディアで活躍してきた李にとっても致命傷になりかねない問題だったが、結果的には実際の仕事や生活に実害を与えるまでには至らなかった。帰化は認められ、選挙への立候補も果たした。

「日本政府は、ネットのフェイク情報などに翻弄されることなく、ちゃんと私という人間を公正に調査し、判断してくれた。自分のこれまでの人生が認められたと感じ、それが本当に嬉しかった」

 帰化をすると当然のことだが、日本に戸籍を持つことになる。李には戸籍に関して大きなこだわりがあった。李は語る。

「新しく作る戸籍の住所をどこに置くか。これは生活基盤、仕事の基盤がある場所ならどこに設定しても大丈夫なんです。私が選んだのは、もちろん歌舞伎町。自分の店『湖南菜館』の住所に設定した。風俗の街とかヤクザの街と言われる歌舞伎町で遊びたい人間はたくさんいるけど、戸籍を置きたいと思う人間なんてまずいないでしょ? でもこの街が私を育ててくれて、今の自分があるわけ。この街に深い愛情があるの。だからどうしても戸籍は歌舞伎町に置きたかった」

 李は来日以来30年、ずっと「自由人」であり、経済的には「個人事業主」として波乱万丈な半生を送ってきた。スパイと揶揄されたり、右翼から言動を攻撃されたり、反社の密接交際者と思われたり、さまざまな女性と浮名を流す一方、すさまじいパワーで夜の歓楽街を生き抜き、本を出版し、雑誌やテレビで政治や世界情勢を語り、店をオープンさせ、ついには区議会議員選挙に立候補までしてまった。

 こんなある意味特異すぎる人間が見事帰化に成功して日本人になれたのは、良い悪いは別として、非常にレアなケースと言っていいだろう。