結婚マネジメント(2)
「結婚は技術である」
そもそも、結婚はお互いの身勝手な妄想からスタートしている事実を認めることから始まります。なぜなら、男性も女性も、ほとんどの人が結婚直後から、自身が思い込んでいた結婚生活と現実が異なることに気づき始めるからです。
家庭内で自分がやることから、相手にやってもらうこと、お互いの距離感も含めて、その齟齬はたくさんあるはずです。どれだけお互いを知っているつもりでも、他人同士である限り、この食い違いは必ず起こります。
こうした思い込みや妄想を是正できないままだったら、遅かれ早かれ結婚生活は破たんしてしまいますが、これは相手選びを間違えたということではないのです。
結婚について回る後悔というのは、「相手選びの間違い」と思われますが、これは必ずしも正しくありません。もちろん、早々に離婚して新しい相手を探すほうがいい場合もありますが、ほとんどの後悔は相手への関わり方と関係しているからです。
最初からうまくいく結婚などは存在しません。自分と異なる考えや習慣を受け入れる余地があるか、相手との齟齬を自分の変化の原動力とできるかどうかが分かれ道です。最初から出自の違う男女が、お互いのベクトルを繰り返し合わせ続ける努力と工夫が必要なのです。元和田中学校校長の藤原和博氏の言葉を借りれば、それは「無限のベクトル合わせ」だといえます。
考えてもみてください。職場でも部下やチームをマネジメントするとき、自分のやり方を押し付けてうまくいくでしょうか。さまざまな個性を持ったメンバーの主張を頭ごなしに否定したり、過ちを正論によって指摘したところでうまくいくでしょうか。
時には言い方を工夫したり、相手のモチベーションを高めたり、自分が心を開いてはじめて相手を深く理解できるわけで、お互いが常に歩み寄らなければいけないのです。
自分にとっての正解が相手にとっての正解とは限りません。我を主張するだけではダメで、時に妥協も必要になります。自分にとっての正解をぶつけ合う「正解主義」ではなく、自分の考えについても修正の余地を探りながら、お互いがすり合わせていく「修正主義」からスタートしなければいけないのです。
結婚もマネジメントです。仕事ではマネジメントの大変さを理解している人も、家庭のこととなると、とたんに相性や愛情の問題で片づけてしまいがちです。しかし、修正を無限に繰り返しながら、自らの手で幸せはつくっていかなければいけないのです。
ドイツの哲学者エーリッヒ・フロムは「愛は技術である」と言いました。愛は、相手と通じ合うための知識と努力によって叶えられるものなのです。
夫婦関係もまったく同じです。結婚とは技術であり、マネジメントの知識と努力によってしか、うまくいかないものなのです。「結婚は技術である」というのは、一万人に及ぶ先人たちの後悔から導き出された最大の教訓かもしれません。
「面倒」と言ってしまえばそれまでです。けれど、そこから学ぶことは無限にあります。自分に最大の負荷をかけることのできる千載一遇のチャンスでもあるのです。この機会に向き合うか、逃げるかが人生の分かれ道です。
後で結婚を後悔している諸先輩たちは、驚くくらい「あのとき、もっと真剣に向き合えばよかった」という後悔をしています。後から考えると、自分の未熟さがわかるものなのです。
他者と向き合うというのは、時に自分を否定することになるのでとても大変なことです。ですが、お互いが「修正主義」の立場を取らない限り、うまくいく結婚などはあり得ないのです。