【お寺の掲示板78】人間という儚い生き物西本願寺鹿児島別院(鹿児島) 投稿者:Hongwanji.kagoshima.betsuin  [2020年10月11日]

この世は美しい。人の命は甘美なものだ。

 10月16日に劇場公開され、数々の記録を更新しながら大ヒットを続けている『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』、もうご覧になりましたか。館内はいまだに満員御礼が続き、新型コロナ禍で苦しんでいた映画館の命脈を保つ貴重な作品となっています。人気沸騰のきっかけとなったTVアニメでも制作を担当したufotable(ユーフォーテーブル)の、これが本当にアニメなのかという妥協のない仕事ぶりを見るだけでも価値があると思います。

 大正時代を舞台にしたこの作品、母子連れの児童から女子中高生、時折私のような中年男性まで、客層は幅広いのですが、終盤、お母さん方の涙を誘うのが、「柱」と呼ばれる鬼滅隊の幹部で、鬼の攻撃の前に命尽きようというときに母の面影と語り合う煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)の存在です。今回は、その戦闘能力の高さから、敵方である鬼の猗窩座(あかざ)から「死も老いもない鬼にならないか?」と仲間入りを誘われたときの彼の名セリフからです。

 彼はその誘いをキッパリと断りつつ、「老いることも死ぬことも人間という儚(はかな)い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ、たまらなく愛おしく尊いのだ」と説くのです。このときの煉獄杏寿郎の姿に涙した方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?

 すべての人間は残念ながら「老いること」や「死ぬこと」から逃げることができません。お釈迦さまは若い頃かなり物思いにふける性格であったようで、「老」や「死」の問題に関しても深刻に悩んでおられました。出家する動機となった「四門出遊」(しもんしゅつゆう)という故事にもそのことがよく表れています。

 お釈迦さまはシャーキヤ国の王子として城の中で何不自由ない生活を送っていましたが、あるとき城門をくぐって郊外に出かける際、東門で老人に、南門で病人に、西門で死者に出会います。そのとき老・病・死という直面しなければならない人間の苦しみについて深く考え込んでしまい、城外に遊びに行くどころではなくなってしまいました。そして、北門で立派な出家者と出会い、出家者に対して憧れを抱くようになったお釈迦さまはついに出家を決意するのです。

 この「四門出遊」のエピソードはお釈迦さまが「生老病死」という苦しみを克服するために出家されたということをある意味、示唆しています。お釈迦さまはその後6年間の修行を経て、35歳のときに悟りを開きます。そして、45年の長きにわたって多くの人々に教えを説き続けるわけですが、80歳で死を目前にしたときに以下の言葉を残されました(『ブッダ最後の旅』岩波文庫)。

 アーナンダよ、ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい。ゴータマカ霊樹は楽しい。サッタンバ霊樹は楽しい。バフプッダ霊樹は楽しい。サーランダダ霊樹は楽しい。チャーパーラ霊樹は楽しい。

 文中のアーナンダとは仏弟子の一人です。お釈迦さまは入滅の前に、これまで慣れ親しんだ場所を心から讃(たた)えられたのです。そして、サンスクリット語の経典だけに残されている言葉ですが、続けてこのようにおっしゃっています。

 この世は美しい。人の命は甘美なものだ。

 若い頃人生に対してものすごく悲観的だったあのお釈迦さまからこのような言葉が出てくるとは、にわかに信じられないかもしれません。しかし、『大パリニッバーナ経』にはこれらの言葉がしっかり記録されています。故奈良康明師は『ブッダ最後の旅をたどる』(大法輪閣)の中でお釈迦さまのこれらの言葉を以下のように説明しています。

 釈尊は悟りをひらいて自由に自我を調えつつ生きてきた人です。真実、法に生かされている世界や万物のあるがままのすがたを受け入れ、美しいと感じる、そうした心境は当然あったものと思います。そして、釈尊は間近に迫り来る死を見、それを発表すべき時が来ている今、ふとそうした感慨を懐き、身近に見えるヴェーサリーの町や木々にかこつけて世界、そして人生の美しさを表白したものではないでしょうか。

 釈尊(=お釈迦さま)はこの世界を肯定的に受け入れた結果、死の間際でこのような言葉を残されたのでしょう。以前、天才バカボンの「これでいいのだ」という言葉が仏教の悟りの境地であるということを紹介しました。わたしたちもお釈迦さまのようにすべてをあるがままに受け入れたとき、「老いることも死ぬことも人間の美しさだ」と捉えられるようになるのかもしれません。

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【お寺の掲示板78】人間という儚い生き物

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