なぜ日本は「コーチング」よりも「ティーチング」の指導が多いのか?
学校の部活での指導を思い浮かべてみるとよい。
コーチングというよりもティーチングの指導が行われているよね。
子どもや若い選手が日本でスポーツをするとなると、ほとんどの場合、小学校、中学校、高校など、学校の「部活動の範囲」ですることになる。
つまり、スポーツ指導の大半が、教育現場で行われているわけだ。
だから、日本のスポーツは、身体を鍛えるための手段、つまり「体育」の一環として考えられることが多い。
そして、体育は学校の先生が生徒に教えるものだから、スポーツも体育の範囲にあるならば、先生が生徒に「教える」ことになる。
学校の先生は、教室だけでなく、部活動でも顧問の先生として生徒を指導するしね。
学校の教育は、基本的にティーチング。それが、スポーツ指導の場所でも引き継がれるというわけだ。
午前中は教室でティーチングをしている子どもに対して、午後の部活の時間になったらコーチングの指導に切り替えるなんて、先生と生徒の関係をそんなにコロコロ変えられるわけないでしょ?
教育現場で先生によるスポーツ指導が行われる限り、教える人と教わる人がコーチングのように横に並ぶような並行関係になることは現実的には難しい。
これは日本のスポーツ指導におけるジレンマである。
だからこれからは、学校の先生もコーチングのスタイルや考え方など、いいところは積極的に取り入れていったほうがいいと思うんだよね。
お互いの「信頼関係」を醸成しながら指導を行うことで教育効果も上がるし、その方法を部活にも生かしていければ、スポーツ界全体の変化にもつながっていくんじゃないかなと思っている。
(本稿は、末續慎吾著『自由。──世界一過酷な競争の果てにたどり着いた哲学』の内容を抜粋・編集したものです)