辞書は「金で買える実力」
――辞書を「引く」のではなく「読む」というのが面白いですね。
読書猿 辞書にはもともと
(1)ひとつひとつの項目が短い
(2)通読を前提にしていない
(3)必要な箇所だけを拾って読める
という特徴があります。集中力が続かなかった当時の僕には最適な「読み物」だったんです。
同じ項目でも、辞書・事典によって説明の仕方が違うので、読み比べながら試行錯誤しているうちに言葉の工作の幅も広がっていきました。僕の日本語を読み書きする力は、ほとんど辞書から得たと言っても過言ではありません。辞書を「意味がわからない単語の意味を調べるだけの道具」にしておくのは、あまりにももったいないです。
――辞書を読むって、かなりハードルが高い感じがしていたんですが、「短い項目(文章)を、好きなときに拾って読める」と考えると、スマホでSNSの文章やちょっとしたニュース記事を読むのと同様に、すきま時間でできる気がしますね。
読書猿 その通りです。僕のように「20分以上は読めない、集中できない」という人にこそ、おすすめしたい。
辞書・事典は、長きに渡って人類が築き上げ/磨き上げてきた、最も洗練された、認知能力の拡大装置(外部足場)のひとつです。翻訳の世界では、もっと直截に「辞書は金で買える実力」という言葉があるそうです。
分かりやすさでは子ども向けで総ルビつきの『例解小学国語辞典』ですが、これだと載ってない言葉も多いので、メインにするのは語数が多い『大辞泉』などがおすすめです。僕は、アプリ(iOS アンドロイド)をスマホに入れています。
「本を読むとは、最初から最後まで通読すること」という呪い
――『独学大全』自体も、独学者の辞書として使ってほしいという思いがあるそうですね。
読書猿 はい。『家庭の医学』のように、いつも傍に置いて、独学で困ったら開く一冊になったらと思って作りました。
一方で、「『独学大全』は780ページもあるのか、読みきれないよ」という声が結構あって……今も、「本を読むとは、最初から最後まで通読することである」という信仰が根強くあるんだなと感じました。僕は、この考え方は呪いであり、間違った信仰だと思っています。
作品世界にどっぷり浸かる、というのは、読書の大切な楽しみ方なので、作者が用意してくれたとおりに、最初から最後まで順番に読むことを全否定する訳じゃないです。でも、本の読み方、付き合い方はそれだけじゃない。
知りたいことを知るために本を読むなら、「夢中になっていっきに読みました」なんてことは、一切必要ないんです。知りたいことが書いてある箇所を、知りたいタイミングで読む。また別の日に、違う知りたいことに出会ったら、また別の箇所を読む。あるいは、最後まで読んだ本であっても、何年か経った後に、思い出したフレーズを探して開いたり、その時、別の忘れていた言葉に胸を打たれたり。読書とは本来、そうして何度でも再読しながら本と付き合っていくことです。
実を言えば、通読以外にも様々な読み方があることを知り実践することを通じて、そうした通読に縛られた読書観を改訂し、もっと楽に楽しく読めるようになることも、『独学大全』の目指すところの一つです。
――そうやって読んでいると、一冊を読み終わるのにすごく時間がかかりませんか?
読書猿 時間がかかってもいいんです。なぜなら、独学ですから。独学は、いつ始めてもいいし、いつやめてもいいし、何を、どんなペースで学んでもいい。全部自由です。
僕も昔は本を読み終われないことが強烈なコンプレックスでしたが、あるとき「この一冊に人生のうち5年捧げてもいいや(その間、他の本は読めなくていい)」と開き直ったんですね。そうやって腹が据わると、案外、3ヵ月くらいで読めたりする。
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本との向き合い方を変えたら、少しずつ、本の側も応えてくれるようになった。たとえば、『独学大全』の「技法44 注釈」にも出てくるスピノザ『エチカ』第三部。第三部だけで半年ぐらいかかりましたが、A3の用紙に本をコピーして、自分なりに注釈しながら読んでいって、ようやく、ああ読むってこういうことなのか、と体感したというか。
――まさに、苦手だったからこそたどり着いた読書術ですね。
読書猿 はい。本を読むことが苦手じゃなかったら、多分僕は「読書猿」として本を書いていないと思います。
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