『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』。この税込3000円超、788ページの分厚い1冊が、今爆発的に売れている。発売わずか1ヵ月半で7万部を突破し、書店店頭やネット書店でも売り切れが続出。ただ読むだけでなく、多くの人がSNSで「こんな風に学んでいます」「実践しています」と報告する、稀有な本だ。
興味深いのは、本書の著者が学者でも、ビジネス界の重鎮でもなく、インターネットから出てきた「一人の独学者」である点。著者の読書猿さんとは何者なのか? なぜこれほど博識なのか? そしてどんな思いから、この分厚い本は完成したのか? メディア初のロングインタビューで迫る。今回は「読書猿の本の選び方」について話を聞いた。
(取材・構成/樺山美夏、イラスト/塩川いづみ)
なぜ「古典を読め」はダメなのか?
――最近、ビジネスやアカデミックの世界に蔓延する「古典・名著を読め」信仰に異論を唱えていらっしゃるそうですね。
読書猿 かなり挑発的な質問ですね(笑)。確かに、答えは「イエス」です。もちろん、古典の存在を否定しているわけではありません。独学者の学びにとって「最善ではない/効率的ではない」と思うだけです。そもそもですが、「古典」の定義をわかっていない人が多いと感じます。みんな定義も知らずに、勝手にありがたがったり、積ん読したりしている(積ん読は、僕もですが)。
――古典の定義ですか……改めて聞かれると、確かに難しいですね。
読書猿 古典とは、単に古い書物を言うのでも時代を超えた真理を蔵している書物のことを言うのでもありません。
古典とは、歴史を経て多くの注釈書が書かれてきた書物のことです。
ある時代に生まれ、何人もの人が読み解くことに挑み、しかも自分がどのように読んだのか、そして読むべきだと考えたのかを別の書物として書き残す。そして、元の古典テキストに加えて、積み重ねられてきた読み方すらも別のテキストとして残っていく……こうして現代に至るまで、繰り返し省みられ、言及され続け、生き残った書物が「古典」と呼ばれるのです。
つまり、もし古典が書かれた分野を学ぶのであれば「古典だけを読む」のではなくて「その後に生まれた多くの研究(そして修正や間違い)も含めて、知る必要があります。
――読書猿さんは、『独学大全』で、古典の代わりに「教科書」を読むことをすすめていらっしゃいますよね。大学の教科書は「入門書+事典+書誌」をかねた独学者の友、というアドバイスはありがたかったです。教科書は学生が使うもの、という思い込みがあって社会人になってから全く手にとったことがなかったので。
読書猿 日本の高校までの教科書は、授業で使うためのいわば「授業書」。これは教師が補完することを前提にしているので、いろんな要素がざっくり抜け落ちています。
けれども、大学の教科書は別です。特に、英語で書かれた大学教科書の翻訳版は、強力な武器になりますよ。
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大学の教科書は、その分野のことをまったく知らない人でもわかる入門的な知識から、用語集、参考文献リスト、確認問題などもあって、学習者が知識を確認できる仕掛けも用意しています。何かひとつのテーマで独学をはじめるときも、教科書から読めば一番いいかたちでスタートできると思います。
たとえば、心理学のことを知りたければ、『ヒルガードの心理学』(金剛出版)という大学の教科書がスタンダードで、心理学に関する全分野の知識をこれ一冊で学べます。心理学の本はインチキな本がいっぱいあるので、そんなものに無駄なお金を使うより、まずはヒルガードの本さえ読んでおけばいい。大学院で心理学を志す受験生の間でも、そういう扱いをされている教科書です。値段が高いのが欠点ですが、改訂を重ねてきているので、少し前の版だと中古市場で安く買えるかもしれません。図書館でも借りることができます。
知の営みは、いわば生態系をなす生物のように互いに依存し合い、結び合っています。いわば「知識の森」ですね。
古典は、この「知識の森」の生態系の起源の一つです。つまり、古典が書かれた当時の時代背景を知らない人には、解説や注釈が必要だったわけですから、その古典一冊を読むより、「森の見取り図やガイドブック」を先に読めばいいんです。教科書があるほど成熟した分野なら、最新の教科書を読めばいい。
もっと学びたければ、次に何を読めばいいか、その教科書の中にある充実した読書案内や文献リストが、より詳しい文献や元になった研究へと導いてくれる。これも「まずは教科書から」と勧める理由のひとつです。
ブログ「読書猿 Classic: between/beyond readers」主宰。「読書猿」を名乗っているが、幼い頃から読書が大の苦手で、本を読んでも集中が切れるまでに20分かからず、1冊を読み終えるのに5年くらいかかっていた。自分自身の苦手克服と学びの共有を兼ねて、1997年からインターネットでの発信(メルマガ)を開始。2008年にブログ「読書猿Classic」を開設。ギリシア時代の古典から最新の論文、個人のTwitterの投稿まで、先人たちが残してきたありとあらゆる知を「独学者の道具箱」「語学の道具箱」「探しものの道具箱」などカテゴリごとにまとめ、独自の視点で紹介し、人気を博す。現在も昼間はいち組織人として働きながら、朝夕の通勤時間と土日を利用して独学に励んでいる。『アイデア大全』『問題解決大全』(共にフォレスト出版)はロングセラーとなっており、主婦から学生、学者まで幅広い層から支持を得ている。本書は3冊目にして著者の真骨頂である「独学」をテーマにした主著。なお、「大全」のタイトルはトマス・アクィナスの『神学大全』(Summa Theologiae)のように、当該分野の知識全体を注釈し、総合的に組織した上で、初学者が学ぶことができる書物となることを願ってつけたもの。最新刊は『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』。
「あなたのための一冊」はない
――古典の話に限らず、独学で本を選ぶとき、気をつけた方がいいことはありますか?
読書猿 2つあります。一つは「偶然や運に頼らない」本の選び方を知ること。誰かにおすすめされたから、先生から手渡されたから、書店で見たから、「読むべき100冊に入っていたから」……これらを繰り返していると、いつまでも主体的に本を選ぶことはできません。独学者が自分で自分に合う本を自分で選ぶための「知識の扉」の一つが、先ほど紹介した「教科書」なのです。
もう一つは、古典の話と根源は同じなのですが、一冊の本という「木」を見ずに「森」を見ることですね。そのためには「あなたのために書かれた一冊は存在しない」ことを、まずは知ることが大事です。
でも、一冊の形では存在しなくとも、あなたの問題に答える答える書物は、いたるところに断片として散らばってる。それらを探し出し、結びつける仕事はあなたがやる必要がある。あなたの問題を丸抱えしてくれる巨人はいない。でも、我々独学者の先達である知的営為者たちが残した無数の断片は、確かにこの世界のいたるところに残っているんです。それらを探し回り、つないでいく仕事は、それぞれ独自の問題を抱えた独学者に委ねられているんです。