1953年に山口銀に入行し、大手メーカーの元労務担当として行内の組合対策に辣腕を振るった。92年に頭取に上り詰め、2002年に相談役に退いた後も役員並みの報酬、運転手付きの専用車をあてがわれていたという。17年に特別社友となったが、なぜか山口銀の社宅である冒頭の屋敷に最近まで住み続けたわけだ。

 田中氏が頭取退任後も「山口銀行のドン」としての権力をまざまざと見せつけた事件がある。04年5月の取締役会で起きた、田原鐵之助頭取(当時)の解任クーデターだ。その日、頭取解任動議が突如提出され、田原頭取は賛成多数で罷免された。解任を主導したのは、田中氏が引き立てた労働組合出身の取締役たちだった。

 このクーデターの模様を後に小説『実録 頭取交替』で描いた当時の取締役、浜崎裕治氏は「田原頭取は不良債権処理に加え、山口銀とある女性との関係を断ち切ろうとして田中氏の逆鱗に触れた。いわば“パンドラの箱”を開けようとしてクビを切られた」と証言する。

 田中氏自身が後継に指名した田原氏を解任してまで守ろうとした女性こそ、第一生命保険の徳山分室に勤めていた元保険外交員(89歳)だ。架空の金融取引で少なくとも顧客21人から19億円を詐取したとされ、目下、刑事告発を受けた山口県警が捜査を進めている。

 浜崎氏によれば、田中氏は山口銀の人事課長時代にこの女性と知り合い、保険の営業先として新入行員らを紹介していたという。

弱小地銀を抱き込まされる「制裁」再来
次なる統合相手に名前が挙がるのは…

 話を04年当時のクーデターに戻そう。取締役でもない田中氏が、トップ人事に影響力を及ぼしたガバナンス不全に激怒したのが、金融庁である。

 その怒りを鎮めるために山口銀が引き受けたとされるのが、当時経営破綻寸前だったもみじ銀行(広島県)だ。現在は山口フィナンシャルグループ(FG)の傘下にあるもみじ銀は店舗閉鎖を進めており、今も苦しい経営状況に変わりはない。

 問題はここからだ。