では日中関係を特徴付けているものは何か。一つにはやはり戦後の日本外交にも、私は55年体制(注)があったと思います。それは特に軍事安全保障の面に現れますが、アメリカに安全保障を依存し、残されたエネルギーを全て経済発展に注入していく――いわゆる「吉田(茂元首相)ドクトリン」と言われているものが、外交にもあって、受け身的に対応していく。これが戦後の日本外交の大きな特徴だったと思います。

――とすると、対中関係も受動的であったと?

 戦略的な思考・動きは主として中国側からきています。日本は中国の戦略的思考に対して受け身で対応してきたというのが、国交正常化に至る過程でもある。では、どうして日中の国交正常化が実現したか。一番大きな背景は中国がソ連に対抗するために、米国との関係を切り開き、その反射として日本との関係が正常化された。私の認識では、72年の国交正常化の主題は台湾問題だったと思っています。だから歴史問題も尖閣諸島問題も、その時は中心のテーマではなかった。

 その後、1978年に日中平和友好条約が結ばれ、同じ年、鄧小平が中国を現代化させるために改革開放政策を開始する。鄧小平が現代化のイメージを確立したのは1978年の訪日の時で、新幹線に乗り、東京の町並みを見て「これが現代化だ」と理解した。日本と組んで日本から学び、中国の現代化を達成していくという鄧小平の大きな構図ができた。だから改革開放路線の三十数年の前半は、基本的には日本との関係を中心にして、彼らの現代化は進みました。それで日本は大事にされた。これも中国の大きな戦略的な発想です。

(注)保守合同で自由民主党が、左右両派の社会党が合同して社会党が誕生し、自民党が政権を担い、社会党が野党第1党を占めるという、90年代半ばまで続いた戦後日本の政治体制。

世代交代がもたらした
日中関係の変化

 もうひとつ我々が忘れていけないのは、どういう世代の人が、その時代を担って日中関係を処理したかということです。国交正常化から鄧小平の時代までは、実際に日中戦争を戦った人たちの間で、日中関係が構築されていった。