もちろん明治以前にも、正月に社寺を参拝する風習がなかったわけではない。しかし、それらは居住地から見て恵方にあたる社寺に元日に参拝する「恵方詣り」や、年が明けて最初の縁日に参拝する「初縁日詣り」といった形態で行われており、元日に恵方とは関係のない社寺に参拝するという現在の初詣の様式は、明治中期以降に確立したものだという。

 もうひとつ鉄道が生み出した風習が、大みそかの深夜から元日未明にかけて初詣を行う、いわゆる「二年参り」だ。平山氏は同書の中で、大正時代まで初詣は早くても元日の早朝から行われるのが一般的だったが、昭和期に入り鉄道の終夜運転が拡大したことで、都市部を中心に二年参りが広く定着するようになったと解説する。

大みそかの終夜運転は
初詣のためではなかった

 では、年末年始の風物詩とも言える鉄道の終夜運転はどのように定着していったのだろうか。明治時代の新聞をひも解くと、早くも1903(明治36)年の元日には終夜運転が行われていたという記録がある。この当時、東京市内にはまだ電車が開通しておらず、レール上に乗った客車を馬が引く鉄道馬車と呼ばれる交通機関が運行されていた。

 1902(明治35)年12月31日付東京朝日新聞によると「市内商家等の便宜を計り今三十一日は昼夜とも車体運転をなすことに決したる」とあり、その目的は初詣のためではなく「市内商家の便宜」を図るためとされている。この頃はまだ江戸以来の伝統である、盆暮れに商品の代金を支払う節季払いの習慣が残っており、大みそかは代金の回収に追われる人が多かったからだ。

 一方、この頃すでに参詣のための終夜運転も行われている。1905(明治38)年10月10日付の東京朝日新聞は池上本門寺で毎年10月13日に行われる「お会式」のために、京浜電気鉄道(現在の京急電鉄)が終夜運転を行う予定だと報じている。初詣のための終夜運転の下地は、こうした所からも積み上げられていったのだろう。

 時代が下って1927(昭和2)年元日の終夜運転は市電(路面電車)だけでなく、市バス(現在の都バス)、国鉄にも拡大している。山手線、京浜東北線上野~鶴見間、赤羽線(現在の埼京線赤羽~池袋間)、中央線東京~中野間がそれぞれ12分間隔で運行されており、現代と比べても遜色のない規模で終夜運転が行われていたことが分かる。

 この頃になると私鉄にも終夜運転が広まっており、1928(昭和3)年元日には、沿線に浅草寺を擁する東武鉄道(浅草~北千住間)、大国魂神社を擁する京王電気軌道(現在の京王電鉄)、川崎大師を擁する京浜電気鉄道で終夜運転が行われていたと記されている。ここからも参拝客の獲得を目的として終夜運転が行われ、それに伴い初詣客も増え、風習として定着していく流れが読み取れる。