そうはいっても
出世は見た目が9割!?

 こんなふうに、話し始めるといくらでもある廷臣の技術だが、実は、これらの技術の行使よりも前にしておかなければならないことがある。

 それは実は見栄えに気を配るということである。

 組織において重要な役割を果たす人になりたければ(残念ながら)、見栄えが一番大事である。人の評価はきわめていいかげんであり、その評価は見た感じの良しあしによって大きく左右される。まったく本質的なことではないが、実質的にはそんなものである。

 また、ここで間違ってはならないのは、この見栄えとは、同世代から見ての見栄えではないことだ。雑誌に載っているようなおしゃれな服装や髪形は、多くの場合上の世代から見ると奇をてらったこしゃくなファッションである。上質なオーソドクシィを基調に、ワンポイントだけ個性を加えたようなおしゃれが幹部になりたい人にはちょうどよいだろう。

 悪目立ちしない、洗練された見栄えは英語の習得よりもよほどコストパフォーマンスが良い。

正当に評価される時代は
DXで訪れるのだろうか

 さて、このように処世術を書いてきたのは、ほかでもない私が、上記のような方策を駆使し、過大評価されてきた人をいかに公正に評価し直し、逆に上記のようなことをしないがゆえに過小評価されている人をいかにすくい上げるかということについて、ビジネス上で努力しつづけてきたからである。

 しかしながら、実際には、上記のような廷臣タイプは、社内のだれもが良いといい、目立った業績はなくても常に人事考課も良く、順調に出世するのである。これは古今東西どこでも同じであろう。そして、このようなタイプが必要以上に幅を利かせるようになると組織は滅びていくのもまた同じである。

 一方、こうした廷臣術を顧慮しない人は成果があっても評価が高くならない。悲しいことだが、これもまた古今東西を貫く組織の基本原則なのであろう。

 個人的には、すべての人のビジネス上の言行が事細かに記録されるようになり、成功にたどり着いたもっとも重要なアイデアは、空気に無頓着なぶっきらぼう君や、自己主張が苦手な口下手さんが必死に考えたものに由来しており、計算ずくの廷臣が、あたかも自分が考えたものであるかのように上手に誤解させる作文を書いたことによって生まれたのではない、ということが、明々白々になるような日が早く来ることを心から願っている。その意味でもDX化の進展は楽しみでならないのだ。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)