悪い知らせの使者になるな
喜びの発信者になれ

 Don’t shoot the messengerという言葉がある。悪い知らせをもたらした人を撃つな!というトップに立つ者への戒めである。悪い知らせを聞くと、誰でも頭に血が上る。その激情のままに使者に怒りをぶつけてしまえば、以後誰も悪い知らせをトップに伝えなくなる。知らなければならないまずい事態を知る手段が断たれ手遅れになるから、悪い知らせを教えてくれた人を叱ってはならないという警告の言葉である。

 裏を返せば、教訓にしなければならないほど人は悪い知らせを嫌がり、悪い知らせの使者を憎む。だから、賢い廷臣は他人にその役割をやらせるのである。どうしようもない場面でも、「どこそこで何かが起こっている気配があります。詳細は不明です」くらいにして、具体的な悪い知らせは自分の口からは決して発しない。

 会議の途中で偉い人が「いったいどうなっているんだ。ちゃんと説明しろ!」と怒鳴り散らすような場面では、ひたすら貝になって何も言わない。嵐の過ぎ去るのをじっと耐えて待つ。沈黙に耐え切れずに、あるいは良かれと思って何かを言う者が火だるまになっても黙っているべきなのである。

 その一方、良い知らせについては、積極的にその発信者になる。別に自分が何かをなしたわけではない。ただ有力者の前で、「○○さんの活躍で、このような素晴らしい成果が生まれている模様です」と報告するだけである。実際は何もしていないにもかかわらず、あたかもこの成功に貢献したかのように思われる。吉報の良い印象とともに、告げたその人の印象も良くなるのである。

 災いを巧妙に避け、喜びには当事者のごとき顔をして参加するのである。

上の者を直接批判してはならない
なるべく上の者には頼みごとをするな

 思ったことをなんでもいいから言ってほしい、と上の者が批判を受け入れる姿勢を見せるときがある。「では、申し上げます」と言って、言いたいことを言う人は間違いなく撃沈する。人はどんなに寛容に見えても結局は批判には耐えられない動物である。部下はあくまで部下。その分限をわきまえることが重要である。

 何かを言う場合も、批判ではなく提案の形式をとらなければならない。「○○には改善できる余地があるので、提案をさせていただきます」というのである。「○○という“問題”がある」のではなく「 ”改善できる余地”がある」という言い方も重要だ。