ジェットコースターのような日々
しかし、二人が自分たちの思いを実現するまでには、ジェットコースターのような日々があったそうです。私がメソッドの日本進出に関わりはじめたのは2009年の秋ですが、当時私たちはこのメソッド事業の研究をチームで行っていて、日本に拡販するためにはどうしたらよいかを徹底的に検討していました。その頃にはすでに、メソッドは、「そんな時期が本当にあったの?」と思えるくらいすでに洗練されていたので、にわかに信じられなかったのですが、次のようなエピソードがあったそうです。
「洗練されたデザインとサステナビリティの融合」「住まいにアヴェダ(AVEDA)を」などのスローガンをもとに、エリックとアダムは当時、米国サンフラシスコで流行していたベンチャー投資家たち支援を要請しはじめました。
しかし、出だしはさんざんなありさまで、彼らにそんなスローガンが実現できるはずがないというレッテルが貼られるところからのスタートでした。そんな彼らでしたが、自分たちのコンセプトへの深い理解を求めるために必死に研究開発する一方で、車のトランクに製品を詰め込み、サンフランシスコ市内でドブ板営業を行っていたそうです。そのうちに、なけなしの会社資本をギリギリまで使い果たしながらも、2001年2月には、モーリー・ストーンズ・マーケットにおいて、初のメソッド商品の販売が始まりました。ここにメソッドが産声をあげたのです。
そして、商品の一斉展開をもくろみ、大手チェーン店ターゲット(Target)へのプロモーションでは、バイヤーからの色よい返事をもらうために、現在ではメソッドの屋台骨商品でもあるハンドソープなどのデザインを手がける著名デザイナーのカリム・ラシッドにパッケージデザインを一任しました。その効果もあって、メソッド商品の全店導入が決まりますが、タイトな納期にも関わらず製品の量産体制がまったく整っていなかったために(もちろん、そのための資本を含めて)その危機をどうやって乗り越えたのかなどなど、スタートアップの起業家が聞いたら、うなずきっぱなしのスリリングな時期を経験しました。
結論から言えば、そのターゲットでの全国的な展開がうまくいって、全米にその名を知らしめるキッカケとなっています。
その後、急成長を遂げていき、2006年にはタイム誌やinc誌の成長企業ランキングで上位にランクインするなどして、消費材分野でも一目置かれる存在となります。