営業マンは「臆病」でなければならない
そして、これが営業マンとして行き詰まる原因でもありました。
振り返ってみれば、僕の歩いたあとは”焼け野原”になっていました。
当時は、知人を中心に営業をしていましたから、”義理”で保険に入ってくれる人はいました。だからこそ、僕は、入社してしばらくは、それなりの成績を収めることができたわけです。
ところが、”義理”で保険に入ってくれた知人も、「売ろう、売ろう」とばかりする僕に、誰かを紹介してくれることはほとんどありませんでした。これも、当たり前のことで、僕自身、自分に対して嫌なことをする人に、自分の大切な人を紹介しようとするはずがありません。その結果、営業すればするほど、新規営業先が減っていくことになります。つまり、”焼け野原”になっていたというわけです。
要するに、自分がやられて嫌なことを、相手に対してしていることが、僕の失敗の本質だったということです。
「そんなの当たり前のことじゃないか」と一笑に付す人もいるかもしれません。たしかに、「自分がされて嫌なことをしてはいけません」などということは、幼稚園や保育園で教わるようなことですから、そのように感じる人がいるのも当然のことかもしれません。
だけど、この問題をあまり軽く考えないほうがいいと思います。
なぜなら、当時の僕だって、「自分がされて嫌なことをしてはいけない」くらいのことは考えていたつもりだったからです。ところが、営業マンとして「目先の売上」を上げることは死活問題で、そのために必死になればなるほど、自分ではそのつもりはなくても「自分がされて嫌なこと」をしてしまうものなのです。
自分が「営業を受ける立場」にいるときには、「営業マンの身勝手」がよく見えますが、自分が「営業をする立場」に立つと、途端に自分が実際に「やらかしていること」が見えなくなる。それどころか、「俺は営業マンとして、やるべきことをやっているのだ」と自己正当化すらしてしまう。それが、人間というものだと思うのです。
だから、「自分がされて嫌なことを人にしない」ということを、「当たり前」と軽く考えるのは危険なことだと僕は思っています。
むしろ、「自分は放っておけば、自己本位なことをしてしまう人間だ」という自己認識をもって、常に、自分の言動を振り返ることを強く意識しておくくらいでちょうどいい。そういうある種の”臆病さ”は、営業マンにとっての美学だと思うのです。
お客様が見ているのは、
営業マンの「無意識」的な言動である
そして、僕は考え方を抜本的に変えなければならないと思いました。
僕は「生命保険の営業マン」ですから、「生命保険を売る」のが仕事です。”保険屋”として存在価値を出すには、「売上」を上げる以外にありません。フルコミッションですから、「売上」を出せなければ、家族を路頭に迷わせることにもなります。
しかも、僕は、「日本一の営業会社で日本一」の成績を打ち立てようという野心もありました。これは、京大アメフト部時代に本気で日本一をめざして努力をしなかったことによる「心の傷」を克服するために、僕にとってどうしても成し遂げなければならない目標でした(詳しくは連載第6回を参照)。だから、このモチベーションを捨てることもできません。
ただし、これは僕の都合でしかありません。
僕は、自分のために「売上」が必要だから、お客様に保険を「売ろう」としていました。つまり、徹頭徹尾“For me”だったということ。もっと厳しく言ってしまえば、僕は、自分の目的を達成するために、お客様を「道具」として利用しようとしていたわけです。
そんなことをされて喜ぶお客様がいるわけがありません。
それが、最もマズい形で現れたのは、後輩になかば強引に契約を迫って、クーリングオフされたときですが、それ以外のときも、僕はずっとそういう思考法で営業をしていたということなのでしょう。
もちろん、僕自身はそんなつもりで営業をしていたわけではありませんし、プルデンシャル生命保険の研修で学んだ営業スキルも、それとは真逆の「思想」に基づいて構築されたものでした。
だけど、相手に伝わるのは、僕が意識していることではなく、僕が無意識で行っていることです。
かつて、ある人物から“面白い表現”を聞いたことがあります。
「腹の出た男は、人前では腹を引っ込めているけど、周りの人が見ているのは、その男の気が緩んでいるときのだらしない腹なんだ」
まさに、それです。僕は、口では“For you”と言いながら、心の底では“For me”と思っている。これを認めるところから、もう一回、営業という仕事にまっすぐ向き合うしかないと思ったのです。