40年近く文芸春秋に勤めていると、この会社が「証言=肉声」として、あの戦争に関わった人々に大勢インタビューしていることに気付きます。多くは私が入社する前の記事ですが、編集長になると過去の雑誌の記事を何度も読むことが多くなりました。そこには、先人たちの智恵や工夫が溢れているからです。あらゆる過去の雑誌を読みまくって、面白い肉声を集めました。

山本五十六、草鹿龍之介
文春に載った軍人たちの声

 山本五十六がロンドン海軍軍縮予備交渉から帰国。東京に向かう電車での、いわゆる箱乗りインタビューが昭和10年3月号に掲載されていました。要人取材に「箱乗り」というのも、そのころ珍しい手法だったでしょう。山本五十六によると、ロンドン滞在中に日本からの手紙が2000通から3000通。中には小学生から「英米5・日本3という不平等をなくし日本も5にするため頑張ってほしい」といった手紙まで来たといいます。

 当時の日本は、小学生まで軍事バランスに興味をもっていたのでしょうか。軍縮賛成派の山本も、「これは政府の指示ではなく、国民世論であると主張したこともある」と発言しています。すでに公の場での発言は要注意の時代となっていたこともあるでしょう。

 惨敗に終わったミッドウェー海戦の南雲機動部隊参謀長・草鹿龍之介の『運命のミッドウェー海戦』も、昭和24年10月号に掲載されました。

 海戦の勝敗を「運命の五分間」と印象づけたのは、まさにこの草鹿証言だったと思います。実際には1時間以上、幹部は爆弾と魚雷の換装をどうするかに時間を空費し、そのため機動部隊の甲板上に武装した航空機がズラリと並び、米軍機の爆弾より自分たちの航空機の爆弾や魚雷の誘爆で、南雲機動部隊は全滅しました。戦争の帰趨は、その時点で決まってしまいました。

 戦後十年以上たっても、敗戦の戦訓を徹底して追及しなかったからこそ、幹部のこうした発言が出てしまうのでしょう。