インターネットの「知の巨人」、読書猿さん。その圧倒的な知識、教養、ユニークな語り口はネットで評判となり、多くのファンを獲得。新刊の『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』には東京大学教授の柳川範之氏「著者の知識が圧倒的」独立研究者の山口周氏「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せるなど、早くも話題になっています。
この連載では、本書の内容を元にしながら「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に著者が回答します。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
(こちらは2020年10月の記事を再掲載したものです)

「読書はアウトプットしないと意味がない」が根本的に間違っているワケPhoto: Adobe Stock

[質問]
 ただの自己満足や楽しいからという理由で目的意識を持たずに勉強したり本を読んだりするのは時間の無駄でしょうか?

 人に説明したり、ブログやレポートを書いたり、収入が増やすためや、仕事の役に立つからなど必要なアウトプットから逆算して目的意識を持って本を読んだり、勉強したりしたほうがいいのはわかっています。ただの自己満足や楽しいからという理由で目的意識を持たずに勉強したり本を読んだりするのは時間の無駄でしょうか? 読書が好きなのですが、最近はなんだか時間の無駄のようで罪悪感を感じてしまいます。読書に限らずに目的意識やアウトプットを意識せずに何かをするのは人生の無駄でしょうか?

「アウトプットなき読書はコスパが悪い」が根本的に間違っている理由を説明します

[読書猿の解答]
 目的地へと急ぐ単なる移動を「旅」とは呼ばないように、「読書」は「アウトプットから逆算された文字情報からの情報摂取」とイコールではありません。

「旅」の比喩を続けるなら「読書」もまた、始める前に抱いた予想や期待を超える何かと出会うこと、そして想定外の遭遇によって読み手自身が作り変えられてしまうことを含んでいるのだと言いたくなります。

 アウトプットにつながらない読書を無駄だと断じてしまう「意識の高い」読書論が、その見識の低さを晒しているのは、読書を一方向的なインプットだと見なしているところです。

 誰かが本を読むとき起こっているのは、書物に記された文字から脳へ(書物→読み手)の一方的な情報の流れなどではありません。文字や言葉の知識、そして物事のつながりに関する知識(スキーマ)等、読み手が持っているものの多くを差し出さなければ(読み手→書物)、簡単な文章ですら意味を理解することはできないでしょう。読書とは、こうした双方向的なやり取りの中で読み手が変わっていくことを言います。

 付け加えるなら、紙面に書かれた文字が一言一句変わらなくても、読み手の方が変化することで書物から汲み出されるものは確実に変わります。我々は書物を再読することはできても、同じ書物を二度と読めない。何故なら読み手が変わることで、書物もまた実質的に変わってしまうからです。

 双方向的な関係は一冊の書物と一人の読み手の間だけにとどまりません。本を読むことは孤立した営みではない。書物が読み手のところに届いているという事実は、多くの人々が様々な役割を果たしながら、書物をこの世界に生み出し、手渡していったことの証です。

 誰かが読むからこそ、書物は書かれ、取引され、書店の、図書館の書斎の棚に収まり、誰かの好奇心をひきつけ、読み手が手をのばすことでまたページは開かれます。書物をめぐるこれら行為のひとつひとつは、ときに可能性にとどまるほど淡いつながりですが、これらが広がり互いに結びつくからこそ、書物と読書をめぐるエコシステムは生命を得て存続します。

(そんなことは不可能ですが)もし仮にアウトプットなき読書が駆逐されてしまえば、多数の読み手を失い、書物と読書のエコシステムの大部分が立ち枯れ、縮小再生産を繰り返し、ついには絶滅してしまうでしょう。

 新自由主義の所説と同様、「意識の高い」読書論は、自分たちも依存しているパブリックな基盤を「コスパが悪い」と軽蔑することで、自身がフリーライド(ただ乗り)していることを都合よく忘却する詐術的思考です。

 そもそも我々が行うことの多くは全くの無駄に終わります。ヒトの未来を予見する力は限られたものであり、将来何が役に立つかについての判断は多くの場合当てにならないからです。

 同じ理由から、以前は役に立つとは思えなかったものが、後になって役に立つ場合も少なくありません。どこかの時点の判断で「無駄なこと」だからと切り捨て、誰もが受け継ぐことがなければ、こうしたことは生じないでしょう。役に立たない無駄なことだと見なされてもなお、存続してきたのは、誰かがそれを面白いと感じたり愛おしく思ったからかもしれません。

 世界は、我々が思うよりずっと多くの、リターンを期待できないたくさんの「好き」で成り立っています。あなたが「好き」で書物のページをめくることで、知らない誰かに書物を届き、世界のどこかで新しい本が生まれます。