「最適な」コロナ政策を
期待するのはナンセンス

――パンデミックによって世界が不安に陥るなかで、我々は何を頼りに政策を評価すればよいでしょうか。

マンスキー まず、そもそも政策決定自体がきわめて難しく、「最適な政策」について考えるのはナンセンスである現実を受け入れることです。これは統計やデータ分析を教えるといったテクニカルな教育の話ではなく、愚かな期待をやめるという、より根本的な問題です。

 一つの課題に対して複数の政策が想定される場合、たとえどれだけ真剣に取り組んでも、どの政策が正しいかを断定することはできません。政策決定の困難さへの理解を促進することは、教育上の重要な問いだと思います。

 再びCOVID-19の例を挙げましょう。ウイルスの感染対策は国によってさまざまですね。ロックダウン(都市封鎖)のような抑圧政策もあれば、それよりも軽い「mitigation(緩和)」と呼ばれる政策もあります。前者は外出を厳しく抑制しますが、後者はマスク着用やソーシャルディスタンシングを実行すれば、ほとんどノーマルに社会活動が行なうことが可能です。

 このように国によって手法が異なるのは、ある意味で「適応的分散」といえます。それは多くの国にとって役立つことです。もしもすべての国が同じ政策をとっていたならば、大きな間違いが起きた場合、世界中がその後の対応に行き詰ってしまいます。ロックダウンを行なわずに集団免疫の形成をめざす「スウェーデン式」は物議を醸しましたが、一つのアプローチとして世界に寄与する側面はあるでしょう。

 ただし、どの政策が良いかを簡単に評価することはできません。そういうと多くの人は歯がゆく感じるかもしれませんが、私にとっては不確実性を認識することこそが重要です。パンデミックから約一年が経っても、依然として判然としない事象が山積しています。ウイルスの蔓延や感染対策による経済的なインパクトはどれほどか、オンライン授業が生徒の学力にどのように影響するのか、それらは今後も議論の対象になるでしょう。

――同じ分野の専門家のあいだでも、COVID-19に対する見解は分かれていますね。

マンスキー それはまさに、私が本のなかでも述べた「dueling certitude(正反対の確実性)」です。二つのグループの科学者がいて、一つのグループが「我々は正しい。あなた方は間違っている」と主張し、もう一方のグループも自説を譲ることなく展開しているケースです。

 ひたすら不毛な議論が続き、互いが歩み寄ることは難しい。この場合は、何が正しい政策かわからない現実を双方が認め、少なくともそれが難しい問題であることに同意するのが望ましいでしょう。

 建設的な議論がなかなか進まないのは、我々研究者の責任であり、同時にメディアの責任でもあります。難解な問題を一般人が理解するうえで、私のような研究者とともに、あなたのようなジャーナリストの存在が重要なのです。