説明責任を果たす論理能力に自信がない

 先ほどの事例に戻ろう。たとえば事後決裁を前提に部下の出張を許可した場合、上司はその後、例外を認めた理由を聞かれるかもしれない。しかしその場合も、取引先から売り込み中の案件に関する出張への同行を急きょ求められ、対応を急ぐ必要があったということをきちんと説明すれば、別に問題になることはない。

 ノー残業デーなのに残っている部下に残業を許可した場合も、後にそうした例外を許可した理由を問われたら、翌日の午前中に取引先に資料を持参する必要があり、それを完成させるためにやむを得ず許可した、ときちんと説明すれば、別に問題とされることもないはずだ。

 だが、そのように楽観できるのは、状況に応じて臨機応変に判断する能力に自信があり、また例外を通した場合に、その理由を説得力をもって説明する論理能力に自信があるからである。

 規則に必要以上にこだわり、融通の利かない人物は、そうした柔軟な判断や説得力ある説明をする自信がない。万が一管理部門からチェックが入ったとき、「そのときの状況からしてそう判断せざるを得なかった、そうしても実質上リスクのない案件だった」といった事情を理路整然と説明し、例外を認めたことの正当性を主張する自信がない。だからこそ、彼らにしてみれば、ひたすら規則順守に徹することで身を守る必要があるのだ。

 企業経営において、以前よりもコンプライアンスが重視されるようになり、このタイプの自己防衛的なやり方に後ろ盾ができてしまった面がある。仕事に対して意欲があり、臨機応変に判断ができ、論理能力に自信がある者にとっては、いわゆる“バカの壁”が厚みを増したわけだ。