「下町」と「山の手」の違いを説明できますか?

 城下では商工業が発達し、城下町を形成し、これを基に大都市へと成長していきました。そのため「下町」と呼ばれました。

 一方「下町」に対して、洪積台地上を「山の手」と呼んでいました。このことからもわかるように、城下町は沖積平野に成立しました。

 例えば、東京の下町の代表例は日本橋、京橋、神田、深川、浅草などです。山の手の代表例は麹町(こうじまち)、麻布、赤坂、牛込(うしごめ)、本郷、小石川などです。

 明治時代になると、日本は人口増加が著しくなります。そのため山の手からさらに西側の武蔵野台地へと都市が拡大していきます。「下町→山の手→郊外」の順に都市が発展していきました。

 なぜ人々は東京に集まるのか。可容人口が大きいというのは理解できましたが、その「土台」には地形的な要因が隠されていたのですね。
(本稿は、宮路秀作著『経済は地理から学べ!』を抜粋、再構成したものです)

宮路秀作(みやじ・しゅうさく)
代々木ゼミナール・地理講師
鹿児島県出身。「東大地理、センター地理」などの講座を担当する実力派。一部の講師しか担当できないオリジナル講座を任され、これらは全国の代々木ゼミナール各校舎・サテライン予備校にてサテライン放映(衛星通信を利用して配信)されている。「地理」を通して、現代世界の「なぜ?」「どうして?」を解き明かす講義は、9割以上の生徒から「地理を学んでよかった!」と大好評。講義の指針は「地理とは、地球上の理(ことわり)である」。