このような「我慢をこじらせることの恐ろしさ」をあらためて振り返ってみると、これから進む日本の「末路」には残念ながら不安しかない。

「医療崩壊の危機」が叫ばれるたびに、「公立病院と一部の民間病院だけにコロナ患者が集中しているので、この偏在を解消すべき」という指摘がなされるが結局、ほどなくすると「仕方がない」とウヤムヤになる。

 科学よりもムードが優先されるような緊急事態宣言が繰り返され、マスコミが新規感染者数の増減をヒステリックに煽ることに怒りを感じる人も多いが、最終的には「文句を言ったところで、どうせ何も変わらないでしょ」とシラけてしまっている。このまま五輪がゴリ押しされても、「ま、ここまできたら、もうしょうがないでしょ」と受け入れそうな人もかなり多いはずだ。

 物心ついた時から叩き込まれている「我慢強さ」をこじらせて、ちょっとやそっとの理不尽ならば許容範囲という感じで感覚がマヒしてしまったのだ。むしろ、じわじわと破滅を受け入れるような、「あきらめムード」が社会全体に漂って、国民の士気がガタ落ちしている。

 この悪循環を実はわれわれは過去も経験している。先の戦争で「欲しがりません、勝つまでは」とパーマをあてているような女性を「非国民」として白眼視したが、そのような息苦しさで国民の士気はガタ落ちした。

 ちなみに、同じ時期のアメリカでは、女性が美しくい続けることこそが国民の士気向上につながると、戦時下でも化粧品の生産制限はほとんど行われなかった。我慢をこじらせるて自滅するのは、日本の負けパターンなのだ。

 今の状況がさらに悪化すれば、将来の夢を抱けない若者のように、未来に絶望する日本人が増えてしまうかもしれない。感染による死を防げたとしても、自殺者や心を壊す人が急増する恐れもあるのだ。

 今の日本人に本当に必要なのは、「我慢」でも「一致団結」でもなく、「自分の本当の気持ちを吐き出す」ということなのではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)