筆者も全国紙社会部記者として検察官と付き合いがあり、さまざまな事件を担当してきた。河井元法相や菅原前経産相が閣僚経験者で国会議員を辞職したのだから「社会的制裁を受けた」として刑事罰は受けずに終わるだろうという筆者の印象や、検察官らの「起訴は不要」という感覚は、もはや悲しいほど時代遅れのようだ。

 特捜はそうした情勢を読み切れず、菅原前経産相や100人を不起訴としたわけだが、検審が「起訴相当」と判断し、特捜部が再捜査で不起訴としても、再度、検審が「起訴相当」と議決すれば強制起訴となり、いずれも事実関係を認めているわけだから裁判所も無罪にはできない。

 情状酌量を含めて執行猶予はあっても、公選法の規定で議員バッジを外さなければいけなくなるのだ。そして何より、検察にとっては「おとがめなし」とした事件を、シロウトで構成される検審によって事件化され、有罪判決が出るというのは屈辱以外の何ものでもない。

不起訴にするための
贖罪寄付という欺瞞

 一般的に起訴されると「有罪率は99.9%」といわれるが、実は、これは検察が優秀だからではない。有罪判決が出る事件しか起訴しないから99.9%なのだ。検察という「業界」では、残りの0.1%を担当した検察官は「不祥事」扱いされるほどだ。

 強制起訴制度は09年5月に始まり、東日本大震災での東京電力元会長や尼崎JR脱線事故の歴代3社長、政治資金規正法違反の小沢一郎元民主党代表などが起訴されたが、実際に有罪となったのは柔道教室の事故を巡り業務上過失傷害罪に問われた長野県松本市の元柔道指導員と、徳島県石井町長(当時)が飲食店女性従業員に暴行した2件だけだ。

 河井被告の事件を巡っては、特捜部は「司法取引」を否定しているが、信じている国民はいないだろう。事実関係を認めない議員らに対する恫喝(どうかつ)は取材などに証言しているし、実は、全国紙社会部デスクによると、検察官らは議員らに「贖罪(しょくざい)寄付」をするよう示唆したとされる。

 贖罪寄付とは、容疑がありながら、起訴しない前提で検察側に都合のいい供述を引き出す代わりに、慈善団体などに寄付を促し、反省の意を示したとする検察側の「不起訴の理由づくり」だ。