転職サイト「ビズリーチ」などを運営する巨大スタートアップ、ビジョナル。『突き抜けるまで問い続けろ』では創業後の挫折と奮闘、急成長を描いています。フードデリバリーのスタートアップ、スターフェスティバルCEO(最高経営責任者)を務める岸田祐介さんは、プロ野球球団、楽天ゴールデンイーグルス創業メンバーで、南氏とともに球団の立ち上げに奔走しました。三木谷浩史・楽天グループ代表、島田亨・USEN-NEXTホールディングス副社長、小澤隆生・ヤフーCOO(最高執行責任者)の薫陶を受けた岸田さんが、当時のエピソードを振り返ります。

5ヵ月で球場を探せ!? 楽天イーグルス創業で体現した「無理」を実現する力ビズリーチ創業者の南壮一郎さんと一緒に、楽天イーグルス創業時に働いたスターフェスティバルCEOの岸田祐介さん

――楽天イーグルス時代、南さんとともに、球団立ち上げに奔走しました。

岸田祐介さん(以下、岸田) 当時、2004年11月に楽天のプロ野球参入が決まったのですが、開幕は翌年4月。我々の準備期間はたった5ヵ月ほどしかありませんでした。

 三木谷(浩史・楽天グループ代表)さんから出た指示は、まず何としてでも開幕に間に合わせて欲しいということが一つ。もう一つが、球団の収支を黒字化してほしいと言われていました。当時はそれが難しいことなのかどうかも分かりませんでしたが、もうやるしかないので、必死でしたね。

 開幕に間に合わせるとはどういうことか。当時、楽天イーグルスには球場もなかったんです(笑)。仙台を拠点にすることは決まっていましたが、実際にどの球場にするかは何も決まっていませんでした。その上、選手もいません。監督も、コーチもいない。球団職員だっていません。あったのは、まとまった資金だけ。これを使って5ヵ月で球場を用意して、選手を集めて、監督を呼んで、スタッフを組織して、野球ができる状態にする必要がありました。

 その上、黒字化にするなら、プロ野球の試合を興行して、お客さんを呼んで、お金を払ってもらえるようにしないといけません。チケットを売って、球場で飲食を買ってもらって、「楽しかったね」と満足して帰ってもらう必要があった。

 この状態をたった5ヵ月でつくるため、チームづくりの担当と事業づくりの担当に分かれて一気に走り始めました。僕や南さんは事業側に配属されて、あとはもうとにかくやるぞ、という感じでした。

――球場はどのように探したのですか?

岸田 球場といっても、そうそうあるわけではなくて、仙台駅近くに候補が見つかったんです。当時は高校生が練習で使っているような、築年数も30年を越えている古い球場でした。立地としては、もうここしかないという感じでしたが、お客さんを入れてプロ野球の試合をするには改修しないとダメだと判断しました。

 そこでデベロッパーを探して、球場を一度解体して、新しくつくってほしいと声を掛けました。主要な建設会社には声を掛けたと思います。その結果、デベロッパーからは、「建て直すことはできます」との返事をもらったんですが、「問題があります」と。

「来年4月にはどうやっても間に合いませんと」と。「そこを何とか」と頼み込むんですが、大手デベロッパーをもってしても「来年4月には絶対に間に合わない」と言うんです。

――困りましたね。

岸田 だけど、お察しのように、「はい、そうですか」で許される状況じゃないわけです(笑)。それで、「できないじゃなくて、できる方法を考えてくれ」と必死に食い下がりました。そうしたら唯一、その中でできる方法がありますと言ってくれたのが、鹿島建設さんだったんです。

 彼らはとても賢くて、一度に全部解体して建て直す時間はないけれど、半分つぶして増築すればできると言うんです。それで最初のシーズンを乗り切ったら、2年目に追加工事をして、さらにシーズンが終わったら、3年目にも工事をしていく。そうやって、数ヵ年計画で球場をつくり直そうというプランを持ってきてくれました。もう「これだ!」とみんな大喜びで(笑)。結果的に、プロ野球参入初年度から、自分たちの球場を用意することができました。

 みんな「できない」と言うけど、「頭を使えばできるじゃない」ということをここで経験しました。
(2021年8月12日公開予定記事に続く)