平井氏は社長時代に「RX100」というサイバーショットの話をよくしていた。サイバーショットはソニーのコンパクトデジタルカメラで、現在好調な一眼レフのαシリーズとは異なり、各社苦戦を強いられている領域の商品だ。しかし、衰退するコンパクトデジタルカメラ市場の中で、RX100だけは異彩を放っていた。

 多くの家電製品は毎年新モデルが発売されると全くデザインが変わり、古いモデルは販売終了となる。これは家電業界の当たり前である。しかし、RX100は2012年の1号機発売以来、デザインが全く変わらず、2019年に発売された7代目「RX100M7」(マーク7)に至るまで、ほとんどのシリーズを併売し続けている。

 ここには、毎年デザインを変えるのではなく、変わらないことで顧客の所有欲を満たし、機能・性能が向上したモデルを追加しても、全ての顧客が常に最高性能を求めるわけではない、という平井氏の思想が埋め込まれている。人はもっと感情や情緒で動くものであり、機械的に機能・性能を向上させるだけがものづくりではないということだ。

効率性だけでは成長できない
優れた経営が大切にする「情緒性」

 これらのエピソードに共通するのは、合理性、効率性だけでは判断し切れない、非合理的な人間の組織だからこそ必要な、情緒や感情を経営に持ち込むということだろう。

 機械的に分業をして自分の与えられた仕事だけを効率的にこなすだけが、長期的に見て優れた仕事のやり方とは限らない。日本企業のような、スロースタートかもしれないが冗長性や多様性のある経営の良さを、再評価すべきだろう。

 平井氏は今後の活動として、世界の子どもの貧困問題に取り組んでいくという。貧困問題は全人類が取り組まなければならない喫緊の課題であるが、同時に大きなビジネスの可能性も秘めている。プラハラードという国際経営学者はBOP(新興市場を意味するピラミッドの底辺)の重要性を指摘し、ゴビンダラジャンはこれまでのような先進国で開発された新技術や新製品が時間経過と共に新興国に広がるというイノベーションのスタイルに対して、新興国ならではのアイデアで生まれたイノベーションが先進国に還流する可能性を指摘している。施しではなく、合理的な配慮がダイバーシティの基本であるが、貧困問題も施しではない発想で対応すれば、それがイノベーションにつながる可能性も秘めている。

(早稲田大学大学院 経営管理研究科 教授 長内 厚)