科学的な知識があれば…

――しかし、それよりもずっと昔にローマ人たちが立派な水道施設を作っていたはずなのに、近世になってもそんな惨憺たる状態になってしまうのは、どうしてなのでしょうか?

左巻 そこは不思議に思いますよね。一つは宗教観念が大きいですね。古代ローマ人は人前で裸になって、お風呂に入る習慣がありました。トイレも含め、そうした習慣が衛生的な生活を支えていました。

 しかし、宗教観が変わり「人前で肉体をさらすことは罪深い」となってしまえば、当然「こういう習慣はやめよう」「こんな設備はよくないものだ」ということにどんどんなってしまいます。そうやって、せっかくの水道設備が破壊されていったという側面があります。

――それは非常に残念ですね。

左巻 やっぱり宗教観の問題は大きいと思います。今から思えば、もし、衛生観念の大切さを理解していたら、歴史は違っていたでしょう。でも、当時は、病気の原因は神の祟りや悪魔の呪いと考えていたからね。

 お風呂で体を清めたり、トイレをきれいに水で流す習慣が薄れてくると、当然ながら水系の伝染病が流行りますし、バタバタ人が死んでいく。でも、科学的な知識が乏しいから、その原因がわからない。

 古代ローマ時代、すでに上下水道を整備する技術はあったのに、化学の知識がないために、それを活用できないまま年月が経ってしまったということです。

 歴史というものに「化学の目線」を取り入れてみると、そんな新しい歴史の風景が浮かび上がってくる。化学と歴史は密接につながっていますから、そんなエピソードは本当にたくさんあるんですよね。

マリー・アントワネットも悩まされた…汚物まみれだったベルサイユ宮殿の真実左巻健男(さまき・たけお)
東京大学非常勤講師。元法政大学生命科学部環境応用化学科教授。『理科の探検(RikaTan)』編集長
専門は理科教育、科学コミュニケーション。1949年生まれ。千葉大学教育学部理科専攻(物理化学研究室)を卒業後、東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻(物理化学講座)を修了。中学校理科教科書(新しい科学)編集委員・執筆者。大学で教鞭を執りつつ、精力的に理科教室や講演会の講師を務める。おもな著書に、『面白くて眠れなくなる化学』(PHP)、『よくわかる元素図鑑』(田中陵二氏との共著、PHP)、『新しい高校化学の教科書』(講談社ブルーバックス)、『世界史は化学でできている』(ダイヤモンド社)などがある。
マリー・アントワネットも悩まされた…汚物まみれだったベルサイユ宮殿の真実