日本型「間違えない人と組織」の死亡リスク

エラーは偶然の発生確率を高め、結果として創造性を高める。
(『進化思考』 P89から)

 このように、創造性と失敗には深い関係があります。つまり創造的であるには、偶然発生する小さな失敗を繰り返して大きな成功をつかみ取ることが大切。そして、意思によって創造するのは難しくとも、偶然による発想が生まれる確率が高い環境は、意図して作り出すことができます。小さな失敗を受け止められる組織構造や、インキュベーションの仕組みを、意図的に内部に持てばよいのです。

 逆に小さな失敗に目くじらを立てて、大きな失敗に関しては惰性のまま放置するのは、非創造的な環境だといえます。まるで、自分と無関係の人までもを得意げに批判する最近のSNS上のコミュニケーションのような話ですね。そうした失敗を包摂しない無自覚な社会のムードは、社会を非創造的にします。

 SNSだけでなく、この前提に立って日本の社会を見てみると、いかに現在の私たちが非創造的な環境を構築してしまったのかが分かります。これは日本人が意思薄弱なわけでも、才能や能力がないわけでもなく、ただ不寛容なマインドセットや社会の更新性の低さに由来するものかもしれません。

 日本は新しい失敗に対して不寛容な教育や組織内での評価制度を構築し続けてしまいました。企業の創業者なら誰もが、失敗の連続から事業の核を見つける大切さを知っていたはずですが、成熟した大企業では失敗しなかった人がトップに座ります。そうすると新しい失敗に挑戦する勢いは削がれ、逆にうまくいかなくなりつつある既存事業を方向転換するリスクも負えない経営になりかねません。こうして、時代に合わない既存の構造が更新されにくい社会が作り出されてしまったように見えます。

 生物は逆に、無駄な変異が大量発生する積極的な失敗の仕組みを獲得して生き残りました。こうした無駄はたいてい、役に立たず失敗に終わりますが、社会が変化したときには、無駄によって生じた別の可能性によって生き残る確率が上がるのです。逆に多様性なくしては、ある時代にその種がどんなに隆盛しても、環境の変化に一網打尽にされ絶滅してしまうリスクがあります。まさにデジタルの登場以降、株価の高い事業が総入れ替わりしてしまった現在の株式市場と同じです。

「偶発性の設計」はトップの仕事

 こうした状況を鑑みると、いまの日本の組織のトップに期待したいことは、偶発性の設計です。それは例えば、小さな失敗を許容し、積極的に再生産する、挑戦に寛容な仕組みの設計です。あるいは世代や性別や職能の判断軸が混在する、多様な経営体制の構築のことです。あり得るかもしれない新しいアイデアが生まれる場所、そんな偶発的な環境こそが創造性を高めます。そして偶発性を組織の中に宿す仕事は、経営者の意思によってできる、非創造的な環境を打ち破る具体的な生存戦略でもあるのです。