2000年代には地銀勘定系システムの大手一角を占めていたITベンダーである富士通が、その座から滑り落ちそうな事態となった。10月7日、自社が提供している共同利用システム「PROBANK」の利用行がついにゼロになることが明らかになったのだ。ダイヤモンド・オンライン特集『不要?生き残る? ITベンダー&人材 大淘汰』(全16回・10月4日より毎日更新中)の#1『富士通・NECが「地銀勘定系システム」で淘汰される!?みずほ事変の裏で大地殻変動』でもその大激動の裏側にある力学について詳しく分析しているが、いよいよその大波は待ったなしとなって大手ITベンダーに襲いかかっている。(ダイヤモンド編集部 鈴木洋子)
かつて十数行を束ねていたPROBANKが
まさかの陥落の理由とは
ITシステムのコストに悩む地方銀行の救世主のようにきら星のごとく登場し、最盛期は十数行からの契約を瞬く間に取った富士通の地銀共同パッケージPROBANK。それが10月7日、ひっそりとその20年の歴史に幕を引くことが明らかになった。PROBANKとは、富士通が2000年から展開している、共同利用型の地銀向けの勘定系ITシステムのパッケージのことだ。
現在配信中のダイヤモンド・オンライン特集『不要?生き残る? ITベンダー&人材 大淘汰』(全16回)の#1『富士通・NECが「地銀勘定系システム」で淘汰される!?みずほ事変の裏で大地殻変動』でも詳しく報じているが、全国の地銀はその大多数がNTTデータ、日本IBM、日本ユニシス、富士通、NECなどが提供する、共同利用型またはパッケージ型の勘定系システムを利用している。
PROBANKは、福島県の東邦銀行を第1号ユーザーとして、同行のシステムをベースに基本設計や運用を共通化したものを開発し、それを各行向けにアレンジするという形を目指していた。地銀再編のさなか、コストがかかるITシステムをどのように管理すべきかに悩んでいた地銀に支持され、十八銀行、佐賀銀行、筑邦銀行、北日本銀行、島根銀行などから受注した。
ところが、当初から開発が難航し、1号ユーザーの東邦向けの開発が大幅に遅延。遅れを取り戻すために2号目以降のユーザーである全国の地銀にいたエンジニアを引き上げ、東邦に集結させて対応するという手段を取った。自行の開発までもが遅れたことにしびれを切らし、上記の契約行から次々と契約を解除される、といった一幕もあった。
こうして難産の末に稼働したPROBANKだが、その後も加盟行の離脱が相次いだ。というのも、今後のオープン化、クラウド化などへの対応等で、各ベンダーがしのぎを削る戦国時代に突入しているからだ。
具体的には、メインフレーム(大型汎用コンピュータ)ベースのシステムが当然だった勘定系に、オープン、さらにクラウドなどを活用し、デジタル・トランスフォーメーションを図ろうという動きが活発化している。先述の特集中の記事『銀行界初のシステム部長出身、北國銀行頭取が「勘定系のクラウド化は当然」と断言する理由』で詳しく解説したが、その動きは銀行サイドからの強い意志を持った動きとしても高まりつつある。
レガシーシステムであるPROBANKは、果たして加盟行に向けて十分に魅力ある提案ができていたのだろうか。19年には中核行だった東邦までもが日本IBMにベンダースイッチを決行。さらに21年9月には、やはり参加行の西京銀行が日本ユニシスのオープンシステムBankVisionに乗り換えた。最後に残った清水銀行も7日、NTTデータへの24年からのベンダー変更を決定。これで24年以降、PROBANK加盟行はゼロになることが決まった。
現在、地銀で富士通の顧客として残るのは、PROBANKに参加していない独自システム保有の3行のみだ。だが、このうちの一行である群馬銀行が、日本IBMの共同化センターを利用する「TSUBASAアライアンス」への参加を発表し、ここも富士通からのリプレイスに動く公算が大きい。
地銀を取り巻く環境が激変する中、ITシステムに対する要求も日々進化している。そこに応え切れないITベンダーは、たとえ大手であろうと長年の契約があろうとも、容赦なくすげ替えられるという厳しい時代。富士通の凋落はそれを象徴している。時代に翻弄され、次なる再編を余儀なくされるITベンダーの行き着く先はどこか。本特集#3『NEC・富士通に迫る「次のリストラ」、大手ITベンダー“再編&淘汰後”の未来図』でも詳しく報じている。