レースに負けると「顔」は失われるのか?

  話を戻そう。
  高校3年のとき、初めての敗北で味わった「恥」の感覚。

 今思うと、いったい何に対しての「恥」なのかわからないけれど、「顔を失う」とか「顔向けできない」とか、「顔が立たない」とか、そんなことを高校生ながらに強く感じた。今まで表に向けていた「顔」がなくなって、人前に出るのが恥ずかしいという、そういう感覚だった。

 今だったら冷静に考えられるだろう。
  レースに負けると本当に「顔」は失われてしまうのだろうか、と。

 あのとき、失われたと感じた「顔」の正体は、何だったのだろうか。
「体調がよくなかった」とウソをついたときのことを、僕はずっと覚えている。

 子どもの頃を振り返れば、誰の中にも言い訳をしたり、負けそうだから全力を出さなかったこと、逃げた経験やうまくごまかした体験は大なり小なりあって、その記憶は嫌なものでちゃんと自分の中に残っている。

 恥への対処の仕方でよくあるのは、それを失敗と思われないようにと、上から塗り固めてしまうこと。恥そのものはなくなっていないけれど、それをカバーして見えなくするために自己正当化をしたり、言い訳をしたり、感じないように努力する。重厚な仮面で隠しても、現実の自分は変わらないのに。