どうやってこの手の無差別テロを防ぐ?
「恥」を抑止力にできないか

 さて、このような犯罪者の特性を踏まえると、この手の無差別テロ、大量殺傷事件を未然に防ぐ方法がなんとなく見えてくる。

 これまでお話をしたように、身勝手な犯行に走る人というのは、異常に自己愛・自尊心が強い。言い換えれば、承認欲求が強くてプライドも高いのだ。だから、承認欲求を満たせず、プライドも傷つけるような罪名に変えるのだ。例えば、「ナルシストこじらせ型テロ罪」なんてどうか。

 ニュースや新聞で「本日、ナルシストこじらせ型テロ罪で懲役10年を求刑された○○被告は…」なんてアナウンスが繰り返さされたら、模倣犯も減って抑止力になるはずだ。

「死にたい」と言いながら、多くの人を巻き込むような犯行に及ぶことからもわかるように、結局、このような人は大事件を起こして世間の注目を集めて、自己愛を満たしたい部分もある。ある意味で、世間から一目置かれたいのだ。だから、その承認欲求の強さを逆手にとって、プライドが傷つくようなカッコ悪い罪名にして抑止力にするのだ。

 今、服部容疑者は「殺人未遂容疑」という罪名だ。1人殺しても大量殺人でも「殺人容疑」と呼ぶ。障害者や子どもなどの弱者に手をかけても同じだ。これは冷静に考えればおかしなことではないか。

 人を殺す意味、背景、悪質さ卑劣さなどまったく違うのにすべて「殺人」というくくりになってしまう。だから、「人を殺して刑務所に入りたかった」「ジョーカーに憧れて」なんて愚かな理由で人を刺す人間が出てきてしまう気がする。愚かな理由で他人の人生を奪うのだから、罪名ももっと愚かで蔑まれるようなものすべきだ。殺人の悪質さでレイヤーをつけるのが、「公平」ではないか。

「人権の観点からそんなことができるわけがないだろ」とお叱りを受けるかもしれないが、かつてアメリカの裁判官の中には、犯罪者に恥をかかせるオリジナルの刑を与えた人もいた。

 例えば、成人向け書店からポルノビデオを盗んだ男に禁固30日と12か月の保護観察か、店頭で目隠しをして「悪を見るな」と書かれた看板を4時間持たせる「恥をかく刑」のどちらがいいか、犯罪者本人に選ばせた。

 このような「恥をかかせる罰」は、犯罪者といえども、名誉が傷つけられるなどの批判があってなくなった。が、筆者はテロや無差別殺傷事件などには有効ではないかと考えている。

 テロや大量無差別殺人は、社会に恐怖を与えて、自分の存在を認めさせることが目的なので、服役年数を増やすなどの厳罰化はほとんど効果がない。だから逆に、このような「恥」を抑止力とする方向性も検討していいのではないか。

 今回のような事件が起きると、ワイドショーなどでは、「犯人の心の闇」とか「社会への復讐」なんてたいそうなストーリーをつくって、事件映像を繰り返し流し、コメンテーターたちが、「怖いですねえ」「こんな動機で人を殺すなんて信じられない」と口々に言う。

 が、実はそれは承認欲求を満たしたい犯罪者側の思う壺だ。しかも、再発防止という観点からも最悪だ。

 服部容疑者が今年8月の小田急線殺傷事件を参考にしたように、今回の事件を社会が怖がれば怖がるほど、「よし、俺も世間をあっと言わせてやるか」なんて模倣犯が出てきてしまう。

 無差別殺傷のような身勝手な犯罪を防ぐには、その人間を「悪」「モンスター」などと恐れてはいけない。必要なのは、あまりに幼稚で自己中心的な思考を「カッコ悪い」「恥ずかしい」と社会全体で再認識することではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)