【お寺の掲示板94】ネットカルマの終わりなき責め苦法音寺(福岡) 投稿者:@ hiro5936 [2021年10月16日] 

一時の感情に駆られて罵詈雑言(ばりぞうごん)を書き連ね、何げなく送信ボタンを押したことにより、未来永劫責めを受け続ける“地獄”がネット社会には潜んでいます。“あなた”という人格は言葉によって形づくられていることを忘れてはいけません。(解説/僧侶 江田智昭)

 “人”は言葉でつくられる

 私たちが1日で接する情報量は、江戸時代の人間の1年分、平安時代の人間の一生分であるという話題を先日新聞で目にしました。どのようにそれを算出したかは分かりませんけれども、スマートフォンの普及により、日常的に触れる情報量が爆発的に増えたことは間違いありません。

 情報量の増加は、当然のことながら日々接する言葉の量が増えたことを意味します。日常生活の中で心が洗われるようなきれいな言葉ばかりに触れたいところですが、そういうわけには参りません。荒々しい言葉や極端な意見が仮想世界には蔓延(まんえん)し、いや応なくそれらが視界に飛び込んできます。汚い言葉を普段から数多く目にしていると、自らの人格に強い影響を及ぼします。ですから、聞く言葉や発する言葉にはくれぐれも注意したいものです。

 たとえインターネット上に匿名で書き込んだとしても、自分が発した言葉は自身の人格に必ず何らかの効果をもたらします。他者の人格を傷つけるつもりで発した言葉であっても、将来的に自分自身の人格を強く攻撃して破壊する刃に変わる可能性も十分にあります。お釈迦さまは以下のようにおっしゃっています。

 荒々しい言葉を言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。
(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫)

 以前、仏教学者の佐々木閑氏が、「邪悪なバーチャル世界からの脱出」という副題のついた『ネットカルマ』(角川新書)を上梓されました。「カルマ」とは「業」のことであり、「自分の全ての行動に対して、後でその報いを受けるシステム」のことです。

 日々すごい勢いで生成され、インターネット上に記録・蓄積されていく情報はこの先消えることはないでしょう。1990年代に発行された雑誌に載った学生時代の壮絶ないじめ発言がネット上で出回ることにより、ミュージシャンの小山田圭吾氏自身の人格が攻撃された出来事は記憶に新しいところです。そうしたいじめの事実を本人はその後否定していますが、彼への攻撃は彼が亡くなった後も続くかもしれません。本当に恐ろしい時代です。佐々木氏は著書の中で以下のように述べています。

 人は10年経てばかなり環境が変わります。ネットで注目された時代は少年だった人が、10年後には配偶者を得て家庭をもっているかもしれません。そんな時に昔のおこないがまたむし返されて、しかもこの先、同じむし返しが何度くり返されるかも分からない。自分が死んだあとの孫子の代まで続くかもしれない。こうしてネットカルマの恐ろしい増幅効果は多くの人を、「つらい人生」へと追いやっていきます。「自分のまわりの家族、知人、子孫にまで報いがくる」「報いが何度でもくり返しやって来る」、というこの二点は、ブッダが考えていた業よりも、一層恐ろしい特性です。
(佐々木閑『ネットカルマ』角川新書)

「業(カルマ)」とは本来、仏教では「自分が行ったことがシンプルに自分に返ってくる」というものでした。それがインターネットの出現によって、お釈迦さまの想定を超えるほど「業」が恐ろしいものになっている、というのが佐々木氏の指摘です。

 私たちがネット上に書き込んだ言葉は、半永久的に残り続けます。時代がたてば、発言当時の時代背景やその人の状況など、多くの人は全く考慮しないでしょう。そう考えると、現在ほど発する言葉に気を付けなければならない時代は、過去にはなかったかもしれません。

 残念ながら「人の噂も七十五日」で消えてしまう時代ではもはやありません。節度を持った言葉を普段から発することは、自身の人格形成に良い影響を与えるだけでなく、将来的に他者からの人格攻撃を防ぐ上でも大切であるということを常々忘れずにおきましょう。