「パッション」と「実践」と「方法論」

異なる出版社から「SFとビジネス」がテーマの3タイトルが、一気に発売されたことの意味とは登壇者は左から宮本道人氏、大澤博隆氏、藤本敦也氏。樋口恭介氏(画面左)、難波優輝氏はリモートでの参加となった。
Photo:HAYAMI

 SFプロトタイピングの説明は5人の間で微妙に異なるが、辞書的な定義を『SFプロトタイピング』の冒頭から引用すれば、「サイエンス・フィクション的な発想を元に、まだ実現していないビジョンの試作品=プロトタイプを作ることで、他者と未来像を議論・共有するためのメソッド」ということになる。「SF思考」とは、そのような取り組みを支える考え方やマインドを意味すると私は理解している。

 SFプロトタイピングで作られる「試作品=プロトタイプ」は具体的なSF作品で、現状では多くが小説の形を取っている。そのプロトタイプを作る過程と、実際に創作された5つのSF短編小説が『SF思考』では紹介されている。

 一方、3冊の中で唯一の単著である『未来は予測するものではなく~』では、SFプロトタイピングの方法論だけではなく、その背景にある思想や、SFというジャンルの本質、さらに「なぜSFなのか」という理由が饒舌に語られている。トークショーの中で美学者の難波氏は、『未来は予測するものではなく~』はパッションの書、『SF思考』は実践の書、『SFプロトタイピング』は方法論の地図であると整理されていた。クリアな整理だと思う。

 私は順番から言うと、先に『SF思考』を読んで、トークショーを見て、その後に『SFプロトタイピング』と『未来は予測するものではなく~』の2冊を読んだ。驚いたのは、『SF思考』とトークショーを通じて抱いた感想や疑問に対する答えが、全て『未来は予測するものではなく~』に書かれていたことである。

 例えば、SFプロトタイピングが方法論として面白くても、そのアウトプットである小説がつまらなければ意味はないのではないかという疑問を私は持った。これは主に『SF思考』に掲載された5つの短編を読んでのごく個人的な感想である。作品が5つもあれば、面白いと思えるものも、それほどではないものも当然ある。これに対する答えに当たるのが、樋口氏のこんな言葉だ。

「SFプロトタイピングを成功させるために必要なコツは、『物語を〈文芸作品〉として捉えない』ということです。物語をうまく書く必要はありません。流麗な文章を書く必要はありません。極論を言えば、『作品を完成させる』必要すらもないと言ってもいいかもしれません。重要なのは作品自体の完成ではないからです」

 では、重要なのは何か。「多くの人を介在させながら1つのSF小説を創り上げるという、そのプロセス」であり、それを通じて「未来に対する議論を行い、議論を通して、目には見えない未来を、ここには存在しない未来を、確かに存在し得るものとして、あたかも目に見えるものであるかのように、あたかも存在しているかのように、リアリティーを持って捉える、その経験そのもの」である。その「経験」をビジネスに生かすことができれば、クリエーティブでイノベーティブな組織、事業、製品、サービスが生まれるだろう。そう付け加えれば、SFプロトタイピングとビジネスの関係を取りあえずは説明したことになる。