安倍政権時の2015年、戦後70年を機に新しい日本の役割を考える有識者会議「21世紀構想懇談会」で配布された資料を引用しよう。
「王立英軍退役軍人会の資料によれば、欧州戦線での英兵の戦死者は26万人であり、全軍の死亡率は5.7%であった。またドイツ軍およびイタリア軍下での英軍捕虜の死亡率も5%ていどであった。他方で、日本軍捕虜となった者の死亡率は約25%であり、第二次世界大戦中にこの死亡率は最も高いものであった。戦死者よりも、日本軍の捕虜収容所での死亡率が高く、このことは戦後のイギリス社会で広く知られていた」(21世紀の回顧と和解の軌跡ーイギリスの視点を中心としてー)
これはアメリカなどでも同様だ。ここまで死亡率が高くなったのは、日本軍は英米の捕虜を、彼らの感覚では、かなり過酷な環境で収容して、時に「処刑」をしてしまうこともあったからである。当時の国際ルールでは、捕虜の殺害は認められていない。にもかかわらず、なぜ日本軍は捕虜に手をかけたのかというと、「日本人の待遇」に合わせたことが大きい。
1942年、思想戦についての著書のある水野正次氏は、このように述べている。
英米の兵士は、追いつめられると当たり前のように白旗を上げて、武装解除して投降した。さらに、祖国の家族に手紙を書きたいとか敵に普通に要望する。
そういう態度の米英の兵士を日本人たちは思いっきり蔑んだ。日本の兵士たち投降して捕虜になるというのは「恥」であり、それを避けるために自ら命を絶てと教え込まれていたからだ。
つまり、この時期の日本軍は「捕虜の待遇」などまったく気にもとめていなかった。そもそも、国際ルールなど無視していたということもあり、捕虜が死のうが生きようが気にもとめないくらいの感覚だった。というより、軍隊組織自体が、大量の捕虜を収容しながら戦うという発想で編成されていなかった。